2016.04.07-12 なばなの里と伊勢志摩 車中泊の旅

三重県桑名市の「なばなの里」にチューリップを見に行く目的で 天気を見計らい出発
車中泊の旅なので その辺りは臨機応変に フェリーのネット予約はぎりぎりでも可能
「なばなの里」から県境を越えて名古屋に入り 知多半島の常滑と半田の町を散策後 蒲郡から伊良湖へ
伊勢湾をフェリーで渡って伊勢神宮へ詣で 少し伊勢本街道を通り 奈良から山陽国道を経
姫路で旧友との再会も果たして九州の自宅まで帰る 寄り道の多い5泊6日の旅である

1日目:自宅 13:00−新門司港 16:00−<阪九フェリー船中泊>
2日目:泉大津港 6:00−西名阪・東名阪国道−加太駅−関宿−亀山宿−なばなの里 16:10〜20:10−
尾張温泉−デンパーク安城(車中泊)
3日目:デンパーク安城−常滑陶磁器会館 9:30<常滑散歩>12:00−半田 12:50<半田町散歩>14:40−
蒲郡 15:50<20分滞在>−伊良湖岬 18:15 伊良湖クリスタルポルト(車中泊)
4日目:<伊良湖岬散歩>伊良湖岬 18:15<伊勢湾フェリー>鳥羽 9:05−二見浦 9:30〜9:50−
伊勢神宮・外宮 10:30<古市参宮街道散歩>内宮 13:30〜14:00−外宮−伊勢志摩スカイライン−
大王崎 17:10−英虞湾登茂山展望所 18:00−伊勢自動車道多気PA(車中泊)
5日目:多気PA−仁柿峠 9:00−道の駅美杉 9:20−<伊勢本街道>−奥津−桜井−田原本町−王寺−壱分IC−
姫路−道の駅みはら神明の里 20:30(車中泊)
6日目:みはら神明の里 6:00−下関ゆめタウン 12:50−自宅 16:30

2016.04.10 内宮から朝熊山頂展望台を経て大王崎・英虞湾へ

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喧騒のおはらい通りを跡にして三重交通バスで 内宮前から下宮前まで乗車し外宮駐車場に戻る  運賃は430円
乗車時間は庁舎前経由で約11分である 外宮から伊勢志摩スカイラインを利用し 朝熊山上広苑の展望台へ行く
伊勢志摩スカイラインの割引券は 公式サイト<http://www.iseshimaskyline.com/>で入手可能だが
事前に印刷と切取りの必要があり 旅先では不可能なことなので注意が必要 割引額は250円となる

朝熊山上広苑展望台
朝熊(あさま)山は伊勢志摩の最高峰で 標高550mの頂きに登れば伊勢志摩や伊勢湾が展望でき
天候に恵まれれば富士山も見通すことができる
また 山上には神宮の鬼門を守る名刹「金剛證寺」があり 外宮からは約30分と近い距離にある
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山頂展望台から鳥羽港方面 中央の島は答志島
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山頂広場にある天空のポスト 飾り物のオブジェではない「レッキ」とした郵便ポストである 注意書きとして
「日本郵便が取り扱う次のもののみ投かんしてください 手紙・はがき・速達・大型郵便・・・・」とあり
「天国へのレター」や「愛の告白」などは投函できない
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平日と土曜の AM9:30 頃取集される
御木本駕籠立場碑 真珠王御木本幸吉自身が建立
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山頂の桜がちょうど見頃であった 山頂を後にして鳥羽に下り「かんぽの宿」で入浴 天然温泉で料金520円
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波切漁港の船溜まり
登録有形文化財の大王崎灯台
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遭難や座礁による海難事故の多かった大王崎に 念願の灯台ができたのは 昭和2年(1927)10月5日であった
現在は参観灯台として入場料200円で一般公開されており 漁港に観光協会の駐車場がある 通常駐車場では
協力金として1回200円を徴収されるが この日は午後5時を過ぎており駐車場は無料で利用できた
時間外で灯台に入ることは出来なかったが 46年前にこの灯台に登った写真があり景色は変わっていない

夕焼けを見ようと 英虞湾が見渡せる標高47.7mの登茂山展望台に行く
約ひと月後の5月26日から27日の日程で 先進国首脳会議がこの英虞湾を舞台に開催される
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展望台から見るリアス式海岸が続く湾内には大小60の島がある 明治半ばから真珠の養殖が盛んである
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サミットの会場となる志摩観光ホテル
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天候が悪く 残念ながら 夕日を見ることが出来なかった
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三等三角点とオブジェ

ここで  すでに午後6時となった 途中「アルファ阿児店」で夕食の弁当を仕入れ 伊勢西インターから
伊勢自動車道に入る 今日の車中泊は多気パーキングエリアで決まり

2016.04.11 多気から広島県・道の駅みはら神明の里まで 距離407km

この日はひたすら西へ向かって走り続けるが 途中 美杉から奥津まで少しだけ伊勢本街道を走る
伊勢本街道
奈良・興福寺下の「猿沢の池」から 上街道(上ッ道)を経て三輪・初瀬を通り 榛原・赤羽・田口・山粕・
桃俣・菅野・神末・杉平・石名原・ 奥津・多気・仁柿・大石・津留・相可・田丸・川端・山田・外宮・内宮
に至る約129キロの道のりである  なお 大坂からは玉造稲荷神社に詣で 暗越奈良街道で興福寺に至る道も
伊勢参りに欠かせない街道であった  道路元標のある大阪高麗橋東詰から奈良の興福寺までは約33kmの距離である
そもそもの道筋は 天照大神を伊勢に祀った倭姫命(やまとひめのみこと)が その際に大和から伊勢へ向かった
道筋と伝わっており伊勢までの最短ルートでもあった しかし 本街道が距離的に短い分 険しい山道が多く
近世以降では 宇陀で別れて名張・青山峠を経由し松阪で伊勢参宮道に合流する北街道(初瀬街道)が
比較的 平坦であったため 参勤交代等に使われるようになり 次第に伊勢本街道は衰退し荒廃していった
明治に入り 本街道として復興的な整備をされたが 鉄道の普及に伴い再び衰退と荒廃を繰り返すこととなった
嘗ては参宮者で賑わった旅籠も廃業が相次ぎ 現在では本街道筋の過疎化も進んでいる
しかし 時代に取り残された分だけ 常夜灯や道標・旧旅籠の遺構や 細くうねるように続く旧道などが残り
近年の 街道ブームもあり 伊勢本街道を再認識する動きが出てきて この道を歩いて旅をする人たちが
少しずつ増えているという  変化に富んだ伊勢本街道は 本格的なウォーキングコースとしても人気を集めている
<津市 森林セラピーガイドマップ 伊勢本街道まち歩きコース →>
伊勢自動車道から勢和多気ICで国道368号線に乗り換え本街道最大の難所・上仁柿峠を超える
峠に至る松阪市側の道は険しく狭い道路で離合も難しい 今時珍しい「酷道」と呼ぶにふさわしい道路である
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旧街道櫃坂の分岐
櫃坂道の案内板 南北が逆

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掲示板の地図(上下は南北正方向) 掲示板に書かれた内容は おおよそ下記の通りである
●図中最下部に描かれた道は 江戸時代以前まで古代から続く古道の「櫃坂道古坂」で 元々より「櫃坂」と呼ばれていた道である 「櫃坂」の由来は「古坂道」の北側斜面が急峻で 櫃状の地形を成すことから付けられた
●図中中段に点線で描かれた道が 江戸時代に盛んとなった「おかげ参り」に合わせ 寛文年間(1661~73)に危険箇所の多かった道を改修して「櫃坂道新坂」として開通させたものである
  江戸時代の「櫃坂道新坂」と並行して実線で表されているのは 昭和10年(1935)と平成9年(1997)に行われた工事で付け替えられた道である これが「現在の櫃坂道」となっている
  現在 地元住民の手で廃道となってしまった江戸時代の「櫃坂道新坂」の復元に取り組んでいる
●国道のルートは明治39年(1906)に開削されている
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峠 手前・奈良 左・松阪 右へ「古坂古道」
峠 伊勢本街道古坂道(左へ)の道標
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史跡 峠
昭和50年(1975)に廃村となった峠地区です。ここを通る道(国道368号線)は大和と伊勢を結ぶ大切な道で、峠の
歴史はこの道によって綴られて来ました。特に伊勢神宮の神霊が初めて伊勢入りされた由緒(伊勢本街道)に始まり
中世には西国から来る参宮道者の宿場として、茶屋や宿屋が軒を並べ、今にその屋号を伝えて往時を語っています。
飯南町文化財調査委員会
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地名が「峠」 嘗て旅籠が並び繁華であった
本街道の宿駅

多気宿
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三重県津市美杉町上多気の「東屋」 明治創業の「練りようかん」の店で 今でも竈門を使い手作りされる
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町家公民館前
八手俣川に架かる大橋南詰の道標「すぐいせ道」
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反対面は「すぐはせ道」 左の空地は旧三木屋跡
常夜灯 「村中安全」

◇旧三木屋跡
 旧伊勢本街道沿いに位置する旧三木屋は、江戸の時代より多くの宿泊客で賑わい、宿場町多気を代表する旅籠であった。
この旧三木屋周辺には、「すぐいせみち・すぐはせみち」と刻まれた嘉永6年(1853)の道標や、元治2年(1865)の常夜燈などが集中しており、旧三木屋とともに往時をよく偲ばせている。 平成5年度に行なわれた、財団法人日本ナショナルトラスト『美杉村・多気の歴史遺産調査』によっても、この旧三木屋とその周辺の重要性が指摘されたが、その当時建物の痛みが激しくやむなく取り壊した。しかし将来、この調査時の資料をもとにして、旧三木屋を再生する計画である。
img◇上多気常夜燈
 ここ上多気はその昔、大和と伊勢を結ぶ伊勢本街道の要所として栄えたところである。神宮をめざす多くの参宮道者が上古から往来し、特に伊勢信仰の盛んであった江戸時代には「一生一度は伊勢参りを」と何百万人もの人たちが、この地の土を踏み宿場として明治中期まで大変栄えた。そして夜ごと伊勢音頭の唄声が絶ゆることなく聞かれたという。
 「すぐいせ道」と彫られた道標とこの常夜燈は神宮への道しるベであり、また村内安全と参宮道者の道中安全を祈願して建てられたものである。この常夜燈は高さが4.9mで参宮街道に数ある燈籠の中でも最大級のものである。建てられたのは元治2年(1865)9月で台石には「世話人、鈴木長次郎・高橋万平・辻又五郎・結城利兵エ」と刻まれている。このことから、この四氏を中心として、紀州藩上多気村の村民が協力してこの地に建立したものであり、当時としては画期的な大偉業であったことが偲ばれる。
 そしてこの常夜燈には夜ごと明かりがともされ、その燈火は怖い飼坂を下ってきた旅人たちの心をどれだけ安堵させたことであろうか。また、この地は神宮通拝の場所ともなっていたと伝えられている。

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上多気 新田橋
曹洞宗 圓通山 正念寺
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谷口の常夜灯 文久4年(1864)建立
札場跡 明治元年伊勢参りの宗教的吟味をした
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興津宿 旅籠跡
宮城橋

伊勢本街道 興津宿 三重県津市美杉町
雲出川左岸に発達した奥津のまちは、飼坂峠の難所を控えた西の宿場として、また、鉄道開通後は、若宮八幡宮への
参詣口として大いに栄えました。興津とは川の最上流の舟着場、渡し場の意味で、交通の要所で物資 の集散地を
表しています。風格ある古い家並みが続く集落には、施籠にかぎらず多くの屋号が残り、
家々に屋号入りの暖簾をかけて、かつてのにぎわいを地域で守っています。
若宮八幡宮へは、郵便局の交差点から約7キロメートル南へ、雲出川をさかのぼります。
仁徳天皇と磐之媛皇后を伊勢平野開発の恩人としてまつるこの社の創建年代は明らかではありませんが、
古くから自然の磐座、水の行場として、修験道行者の霊地としてあがめられてきたと伝わります。
中世には北畠氏が祈願所として代々信仰するとともに守護し、江戸期の藤堂藩もあつく信心し、
現在も広く人びとの信仰を集めています。
JR名松線は松阪〜名張間をつなぐという意味で名づけられましたが、昭和十年にここまで開通した後、
工事は中止。駅構内に残る給水塔が蒸気 機関車の走っていた時代を物語っています。
伊勢本街道を活かした地域づくり協議会 風景街道「伊勢街道」連絡協議会
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興津三叉路 昭和10年(1935)12月開業の伊勢奥津駅前の商店街 赤字廃止勧告対象路線で駅前も寂しい
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廃業した扇本商店「ぬしや」は「街角博物館」
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<正面>左はせ新街道 <左面>伊勢本宮及津市ヘノ便利道ナリ <右面>明治二十六年ノ改修平坦ナル車道ナリ
18世紀末のこの頃 交通体系が鉄道の発展により大きく変わりつつある時代であった
明治22年(1889)に新橋−神戸駅間の東海道本線が全通し すでに徒歩による伊勢詣は衰退の一途を歩む
明治24年(1891)に関西鉄道(株)により 東海道本線の草津−津駅間が開通し 大阪・京都方面からは
鉄道を利用し津市まで行くことが出来るようになった 明治26年(1893)には津−宮川駅間の参宮線が開通した
同じく明治26年(1893)に 明治初期に奈良から始まった国による伊勢本街道の改修工事がこの興津で終焉した
4年後の明治30年(1897)に参宮線は 山田駅(現・伊勢市駅)まで延伸開業している

美杉町杉平で奈良県に入る 「道の駅みつえ」のある敷津三叉路から369号線に入り宇陀市を目指す
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奈良県宇陀郡御杖村 神末宿
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曽爾村・宇陀市・桜井市・田原本町を経て王寺町で昼食 第二阪奈道路から阪神高速を経て三原までひた走る
今日の泊まりは「道の駅・みはら神明の里」 そして明日は 国道を走って九州まで帰る
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