伊勢参宮名所図会に描かれた妙見山

伊勢参宮名所図会は 寛政9年(1797)に刊行された図会 著者は不詳であるが挿絵は大坂の浮世絵師
蔀関月(しとみかんげつ)の手によるものである 京都三条及び桑名の渡しから内宮までの名所を描く

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明治初期まで外宮の祠官を世襲した度会(わたらい)氏が代々妙見を信仰してきた そのいわれは
貞観元年(859)11月15日 15歳であった伊勢外宮の禰宜・度会高主の娘・宮了が大物忌(おおものいみ)として
内宮へ朝餉奉仕の途中で大水の出ていた御贄川で溺れ死んだ 遺体を捜したが見つからず 代わりに川底から
「童形の妙見菩薩像」が出たのでこれを祖先祭祀の宮へ祀った すると翌年から3年つづけて男子の双児が誕生し
三年で6人もの男児を授かったことから子孫繁栄を願い 宮了の化身として現れた妙見像が代々信仰された
妙見町の名もこの妙見山・妙見堂から由来する 妙見信仰は神仏習合の形態を取ることから
明治期に廃され 現在は妙見堂跡の碑が石段下に建つのみである