2013.05.14−16 大津−鳥取車中泊の旅 No.2

舞鶴赤れんがパーク
道の駅「シーサイド高浜」から小浜に戻り 歴史的建造物保存地区の「小浜西組」(街道を往く参照)を散策後
「舞鶴れんがパーク」とその周辺を散策する 舞鶴の赤レンガ倉庫群は旧帝国海軍舞鶴鎮守府の跡地である
北方の大国ロシアと清国に対する戦略軍事拠点として 明治22年(1889)湾口が狭く防御に適した舞鶴湾に
鎮守府を設置する計画が決められた しかし すでに広島県の呉 長崎県の佐世保の整備が始められており
舞鶴の軍港建設費用の資金として 日清戦争(明治27年-28年)の勝利によって 清国から支払われた賠償金が
使われ 明治34年(1901)10月1日に漸く舞鶴鎮守府が開庁した 初代司令長官は東郷平八郎であった

赤れんがロードの重要文化財倉庫・三棟は明治の建築物
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重要文化財の赤れんが2号棟ー5号棟は大正時代の建築
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3号棟・5号棟・4号棟
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3号棟・5号棟・4号棟
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<左>4号棟・赤れんが工房 <右上>3号棟・まいづる知恵蔵二階フロア <右下>2号棟・市政記念館
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2号棟・市政記念館内部
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3号棟・4号棟
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舞鶴は今も海上自衛隊基地の町
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国登録有形文化財 旧舞鶴線「北吸トンネル」西坑口 明治37年(1904)建設
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今は人道として利用
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東坑口

舞Iから国道175号・178号を通り宮津市上司から 宮津運動公園のある旧国道に入る
峠の旧・栗田(くんだ)トンネルは撥雲洞と名付けられ 近代土木遺産に登録されている

撥雲洞

国登録有形文化財 原簿記載:平成20年4月18日 官報告示:平成20年5月7日
石造抗門 延長126.0m 幅員4.7m
撥雲洞トンネルは、京都府第三代知事北垣国道により進められた京都・宮津間車道工事で、栗田峠を掘り抜いて
建設された。栗田峠は地元波路の賣間九兵衛の主導により、切り下げの計画が進められていたが、
明治17年(1884)、隧道へと計画が変更される。トンネルの開削工事は明治17年11月に着手され、同19年7月頃に
完成した。工事で使われた花崗岩の余材で、宮津城下大手橋が石造橋(めがね橋)に架け替えられ、同時期に竣工、
同年8月4日、トンネルと大手橋の開通式が行われた。「丹後宮津に過ぎたるものは、波路トンネルとめがね橋」と
いわれたという。入口(抗門)は花崗岩の切石を積み、柱型が立つ。上部題額には宮津側に「撥雲洞」、京都側に
「農商通利」と刻まれ、北垣知事の揮毫になる。京都・宮津間車道工事は、北垣知事による大規模土木事業の一つで、
撥雲洞トンネルは、宮津・丹後地域の近代化に貢献した、我が国最初期の近代トンネルである。
トンネルから波路側(宮津側)にしばらく進むと、右手に「隧道開鑿首唱者 賣間九兵衛翁の碑」と刻まれた
石碑が立つ。明治42年(1909)9月の建立で、栗田村・城東村・宮津町の沿道運送業者たちの寄付になる。
宮津市教育委員会
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東抗口 内部はモルタルが吹き付けられて石組み全体は見えない
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モルタル下の石組み
隧道開鑿首唱者 賣間九兵衛翁の碑
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西抗口

市内では石橋めぐりをして 夕刻に傘松公園「天橋立」展望台へ向かう ケーブル駅に到着した時間は
午後5時を過ぎようとしていた ケーブルの最終まで30分 駐車場はもう管理人もいなくて 料金は只
急いで上って 最終の一つ前で下山 駐車料は払わなくて助かったが 慌しい観光である
時間的に遅く観光客はまばら 夕景の日本三景も「またいい」
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傘松公園展望台 ウッドデッキ
傘松公園展望台 ガラスデッキ
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傘松山の麓にある 元伊勢「籠神社」
丹後国一宮 主祭神:彦火明命
社伝によれば 豊受大神は本来真名井原の地(現:奥宮)に鎮座し 匏宮(よさのみや)または与佐宮と呼ばれた
崇神天皇の時代 天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移った際に豊受大神から御饌物を受けた その4年後
天照大神は伊勢へ移り 後に豊受大神も伊勢神宮へ移ったため 当社を「元伊勢」という
養老3年(719)真名井原から現在地に遷座 主祭神を彦火明命とし 豊受・天照両神を相殿に祀り 祭神が
籠に乗って雪の中に現れたという伝承により社名を籠宮に改めた 真名井原の社殿は奥宮・真名井神社とされた
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鳥居の左上に傘松展望台とケーブルが見える
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神社境内を抜けてもケーブル駅に行ける 神社の駐車場は無料だと思う
籠神社を出て国道174号線を北上 途中で買い物をして 今日の宿泊地は 道の駅「船屋の里伊根」
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