2013.12.09  倉敷散歩

現在の倉敷市一帯は古代吉備国に属し 7世紀後半の吉備国分割により児島郡が備前に それ以外は備中になった
中心部の美観地区は 吉備児島と本土に囲まれた吉備の穴海と呼ばれた内海湾に浮かぶ 鶴形島の集落を起源とする
平安時代初期には高梁川の堆積作用によって島は陸続きとなり 周辺には阿智潟と呼ばれる干潟が広がっていた
奈良時代から干拓が始まり中世以降は干拓規模も肥大し 江戸初期には岡山藩による干拓で児島は陸続きとなって
半島となり児島湖ができた 慶長19年(1614)に備中松山藩の代官所がおかれた 代官所は商人たちの自治を認め
優遇したことで人口も増加し 年貢米の集積地として発展し商人の町として栄えた 倉敷村は 寛永19年(1642)
江戸幕府直轄の天領となって幕府代官所が置かれ陣屋町となった 高梁川と児島湾を結ぶ運河として倉敷川が
開削され内陸の港町となり 物資の集散地として栄えて豪商の蔵が建ち並び商家町として繁栄した
倉敷という地名は 中世期以降の干拓によって新田が増加し それにつれて寺社領・知行地・藩領が輻湊し
それぞれの領地より 年貢米を輸送するための集積地としての 「倉敷地」に由来しているとする説が多い
その他 多くの蔵屋敷が立ち並んでいたので「蔵屋敷」が訛ったとも考えられる また「倉とは船蔵屋敷か
水夫(かこ)屋敷のことを指す」ともいわれる 倉敷村が誕生したのは16世紀後半であると云われ
「蔵敷」「倉輔」などと記載されることもあった
Link:昭和40年代の倉敷写真集
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美観地区南端 高砂橋
美観地区北端 今橋
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中橋
今橋と大原邸
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大原邸
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今橋と大原美術館
倉敷の実業家大原孫三郎が 自身が援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した西洋・エジプト・中近東・中国
などの美術品を展示するため昭和5年に開館した 西洋美術・近代美術を展示する美術館としては日本初の施設である
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大原家別邸 有隣荘
有隣荘横の路地
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本町
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本町 森田酒店
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PM 15:11 雨も降り出し観光客も潮を引くように消えてしまった
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PM 15:15 雨脚が強くなってきたので今回の旅はここで打ち上げ 帰途につく
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