2013.10.14−15 山口県西部車中泊の旅 No.2 仙崎散歩

昼食にイカ丼を食い 後は仙崎の町をぶらぶら散歩
仙崎は 青海島と本土間の潮流によって発達した砂嘴に出来た町である 江戸期より漁港として発展し
第二次世界大戦後は かつて関釜連絡船として就航していた興安丸の母港となり 釜山と仙崎及び博多港を
往復したことから 海外邦人の日本本土への引き揚げ港として知られる 仙崎港での海外邦人引き揚げ者数は
約41万4千人で 博多・佐世保・舞鶴・浦賀の各港に次ぐ第5番目となる また朝鮮・台湾など祖国へ帰還する
在日外国人の出国港として 博多港に次ぐ約34万人の人たちを祖国へと送り出した
現在 仙崎漁港ではイカ・アジなどの近海の魚介類やウニ・アワビなど沿岸水産物を多く取り扱われ 県内では
下関漁港に次ぐ水揚げ高を誇り 主に関西・九州方面に出荷される 近年は同港に水揚げされるケンサキイカに
「仙崎イカ」のブランド名が名付けられ 江戸期発祥の「仙崎蒲鉾」と合わせ名産品となっている
全長260mの青海大橋が昭和40年(1965)10月に完成し青海島に車で渡れるようになった
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青海島の王子山公園から仙崎全貌
仙崎蒲鉾
関東地方は蒸して加熱する小田原蒲鉾が有名だが 関西では一度蒸した後に火で培る「焼き板」という製法が多く
その中でも仙崎の「焼きぬき蒲鉾」は 杉の蒲鉾板にすり身を盛り 蒸さずに炭火で焼きとおすという製法から
「焼きぬき」の名がつく 焼きぬきは焼成温度が低く内部温度の上昇が緩慢なために 淡泊で魚の味覚を生かした
なおかつ弾力があり肌が艶やかなきれいな蒲鉾となる しかし焼成温度が低いため鮮度の高い原料を必要とし
賞味期限も短いため 元来 この浜焼きの蒲鉾を食すことが出来たのは近畿を東端とした関西圏のみであった
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仙崎駅
昭和5年(1930)開業 山陰本線長門市駅から支線(通称・仙崎線)1区間でつながる
第二次世界大戦後の一時期  全国各地へ海外から仙崎港への引き揚げ者を運ぶ直通列車が運行された
現在は 仙崎〜長門市駅間で列車が往復運転し  仙崎から美祢線経由で山陽本線厚狭駅へ
山陰本線経由で下関駅にも直通列車が運行されている
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終点の駅 仙崎
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メインストリート みすゞ通り
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vespa car P50
ベスパの50cc三輪自動車(1970-80年代)  この車 度々Netで紹介されている現役車
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八坂神社(祇園社)
天平5年(733)年 吉備真備によって青海島の王子山に祇園社として創立
建保4年(1216)の旧8月 台風と思われる暴風のため崩壊し 仙崎の「州崎社(洲崎神社)」へ遷座された
その後も大火により被災し 延宝6年(1678)年12月に長州藩2代目藩主・毛利綱広により現在の地に再建された
明治政府の神仏分離令により 八坂神社へと改称されたが 金子みすゞの詩でも 「祇園社」の名で登場し
今でも地元では「祇園さま」が通り名である 拝殿の唐破風に毛利氏の「一文字に三つ星」の紋が掲げてある
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八坂神社参道
かまぼこの板によるモザイク画のある街角
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鯨捕り
むかし、むかしの鯨捕り、ここのこの海、紫津が浦(しづがうら)。
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星とたんぽぽ
青いお空の底ふかく 海の小石のそのように 夜がくるまで沈んでいる、
昼のお星は眼にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの 瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ。
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かまぼこの板一枚一枚に書かれたメッセージ
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金子みすゞ記念館 生家・金子文英堂跡
大正の天才詩人・金子みすゞ(本名:金子テル 明治36年−昭和5年)は仙崎で生まれ 郡立大津高等女学校
(現:県立大津緑洋高等学校)を卒業するまでの間 仙崎で過ごした 20歳の頃から書き始めた512編にも及ぶ
作品の大半は その後移り住んだ下関市で詩作されものだが そのモチーフには故郷仙崎の情景が多く描かれている
漁港に水揚げされた大量の鰯を描いた「大漁」は代表作の一つである その他に王子山・弁天島
祇園社など 仙崎の風景を読んだ詩も数多く残されている しかし その生涯は決して明るいものではなかった
23歳で義父の経営する上山文英堂に勤務する男性と結婚 娘を1人もうける しかし夫が次第に義父に
冷遇され 女性問題を契機に上山文英堂を追われる みすゞは夫に従ったが夫の放蕩生活は収まらず
みすゞに詩の投稿 詩人仲間との文通を禁じる 昭和5年2月に離婚したが娘の養育権で夫と対立 親権を強硬に
要求される中 みすゞは「娘を自分の母に託すことを懇願する遺書」を残し自殺 26年の短い生涯を閉じた
残された作品は散逸して いつしか幻の詩人と言われるようになった その後 長周新聞によれば
昭和12年(1937)長周新聞の主幹であった福田正義が 雑誌「話の関門」の中で「金子みすゞの生涯と作品」を
紹介したとしている ただ軍国主義を強める時世下であり 尚且つ地元のローカル誌で掲載されたもので 広く
世間に知らしめるには至らなかったと思われる みすゞの没後54年を経た昭和59年(1984)に 岩波文庫の
「日本童謡集」に収録されていた「大漁」を読み感動した詩人・矢崎節夫の努力によって遺稿集が発掘され
同年2月「金子みすゞ全集」が JULA(ジュラ)出版局から限定千冊で出版(8月千冊増刷)
同年8月「第1選集・わたしと小鳥と鈴と」が矢崎節夫編集により出版され 瞬く間に有名になった
翌年の東大の入試問題に「積もった雪」「大漁」が採用され 現在では小学校の国語教科書に採用されることも多い
故郷・長門でも再評価がが進み 生誕100年目にあたる平成15年(2003)に生家跡が金子みすゞ記念館となった
なお みすゞの墓所は 仙崎の遍照寺にある
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廃業の蒲鉾店 後継者がいないのでしょう
日本を取り戻す 秘策はあるのか???
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銭湯 旧仙崎湯
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懐かしい「ナショナル坊や」 関西人は「ナショ」って言ってた 「パナソニック」では舌を噛む
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八百屋のお鳩
おや鳩子ばと お鳩が三羽 八百屋の軒で クックと啼いた。
茄子はむらさき キャベツはみどり いちごの赤も つやつやぬれて。
なあにを買おうぞ しィろいお鳩 八百屋の軒で クックと啼いた。
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廣田珈琲店
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金子みすゞモザイク画 M20000 「大漁」
朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ。
浜は祭の ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう。
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作道商店
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元醤油醸造業の五嶋家
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醤油蔵
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貴重な真水の共同井戸
大きな旧家が並ぶ路地
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18世紀の建築 元造り酒屋の持山家
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仙崎公民館のモザイク画
仙崎散歩はここまで 仁位ノ浜・千畳敷を経て油谷島まで 油谷湾をグルッと廻る
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