2013.08.13−17 山口県東部車中泊の旅 防府散歩

防府市内 阿弥陀寺・防府天満宮・西国街道の宿場宮市・三田尻・剣神社の石橋など散策
防府は 奈良時代に国府と国分寺が置かれた周防国(大島・熊毛・玖珂・都濃・佐波・吉敷郡)の中心地で
現在の山口市南部・宇部市東部・防府・下松・岩国・光・柳井・周南の各市と大島郡・玖珂郡・熊毛郡が含まれる
imgimg
枡築らんかん橋 入浜塩田に架けられた石橋
華厳宗 東大寺別院 阿弥陀寺
文治3年(1187)東大寺重源により東大寺の周防別所として創建され 歴代の住職は周防国司の任にあたった
文明16年(1484)に焼失したが 大内氏の援助を受けて再興され かつては多くの塔頭を有していた
東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため 重源が設けたと言われる石風呂が今も
文化財として残っている 後代に造られたもうひとつの石風呂は 毎月第1日曜日には石風呂が焚かれる
薪代として300円を支払い一般入山者でも入浴することができる
本尊は阿弥陀如来
昭和50年(1975)頃よりアジサイの植樹が始まり 現在では80種・約4000株のアジサイが植えられてる
img
阿弥陀寺 仁王門 貞享2年(1865)再建
imgimg
阿弥陀寺境内
石風呂(蒸し風呂=サウナ)毎月第一日曜に炊かれる
img
阿弥陀寺 観音橋
img
中門 明治4年(1871)に奈良東大寺の惣門を移設
img
本堂
多々良大仏堂
imgimg

防府天満宮
菅原道真が死没した翌年の延喜2年(904)に創建され「日本初の天神様」と言われる
かつては「松崎天満宮」・「宮市天満宮」あるいは単に「天満宮」と称していたが 明治6年(1873)
近代社格制度のもとで県社に列格し松崎神社と改称 戦後の昭和28年(1953)に防府天満宮と再び改称した
道真が宮中での権力争いで失墜し 九州の大宰府に流されていく道筋での宿泊地の一つが防府とされており
京都の北野天満宮 福岡の太宰府天満宮と並んで 日本三大天神と言われている
防府市は この天満宮を中心に栄えてきた門前市(いち)が発祥の都市である 南に山陽街道が通じる
imgimg
放生池と石橋
手水舎
img
結婚式前撮り 神社でこの頃よく見かけます
img
楼門
img
拝殿
img
神様が 抱える願い事は 重い
img
回廊西門
春風楼
10代藩主・毛利斎煕が社頭に五重塔の建立を思い立ち 文政5年(1822)より工事を開始
天保2年(1831)工事中止 その後 塔の設計を現在の重層の楼閣様式へ変更し 明治6年(1873)に完工
楼の床下木組は 五重塔一層目軒下に使用予定の組物が使われ 文政年間着工時の面影を偲ぶに充分である
img
img
imgimg
img
img
img
春風楼の飾り絵馬 上の写真:判りにくいが 松の曲がり木に11頭の牛が浮き彫りされている
img
imgimg
情報発信基地「うめてらす」と「世界お笑い協会」笑いで世界平和を 崇高な目的は 吉本興業と関係なし
天満宮の門前町で 西海道(山陽道)と萩往還が交差する宿場町として栄えた宮市を散策
img
掲示板から:歴史の道萩往還 総延長:約53km
萩往還は、江戸時代のはじめ萩城と毛利氏の水軍根拠地である御舟倉(防府市三田尻)を結ぶ、参勤交代の道として
整備された街道です。防府天満宮の大鳥居前は、山口県を南北に走る萩往還と東西に走る山陽道との分岐点です。
天満宮の鳥居前周辺には街道を使って運送される荷物の送り場や人・馬の継ぎ場などがありました、 萩往還は
鳥居前で南に折れ山陽道と別れますが、この地から西に今市町まで815mにわたって、二本の街道が重なっています。
この一帯は異なる方向からの人や物が大量に行き交う交通の要衝として重要な区間であり、江戸時代以降
近年に至るまで多くの店舗などが立ち並ぶ、防府の商業の中心地域でもありました。また、防府天満宮を
崇敬する人々も萩往還や鳥居前町の宮市を利用し遠方から参詣していました。萩往還は参勤交代の道である一方で、
様々な人々にも生活に必要不可欠な道として利用され、現在にその姿を残しています。

掲げられた古地図には宮市の中に東から 前小路・立市・中市・新町・今市の各町名が読み取れる
立市(竪市)は 萩往還沿いに発展した町である
imgimg
宮市と街道
宮市本陣足部家跡 2011年7月22日 焼失
imgimg
在りし日の宮市本陣足部家
宮市と街道
img
img
テーラー伊藤
img
img
img
img
AM:11:00 天満宮を出発 剣神社の石橋を見て 三田尻塩田記念産業公園に向かう
<PREV・阿知須散歩>  TOP  <NEXT・塩田記念公園>
<中国の旅・INDEX>