2013.08.13−17 山口県東部車中泊の旅 錦町・美川町

「道の駅・ピュアラインにしき」で車中泊 日中は多くの車で賑わっていたが営業時間の午後6時を過ぎると
4台ほどの車が残った 錦川清流鉄道の錦町駅近くの国道沿いに スーパー・サンマート広瀬店があり
また同敷地内にはコインランドリーもあるので便利だ 道の駅に隣接して錦町農産加工株式会社の本社工場があり
深夜から早朝まで車の出入りがあるので就寝の邪魔になる それを除けば気候的にも快適な場所である
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錦川鉄道株式会社 錦川清流線 錦町駅 公式サイト:http://nishikigawa.com/
旧国鉄岩日線の岩国−錦町駅間を 鉄道路線錦川清流線として運営する山口県や岩国市などが出資する
第三セクター方式の鉄道会社 現在は岩日北線の未成区間である錦町−周防深川間をタイヤ付き遊覧車
「とことこトレイン」で 合わせ運営している 旧岩日線は山陽本線岩国駅と山口線日原駅を結ぶ計画で
昭和35年(1960)岩国ー河山間開通 昭和38年(1963)錦町まで開通 錦町以北の岩日北線は
昭和42年(1967)から工事が行われていたが 昭和59年(1984)年廃止決定 すでに錦町から六日市まで
路盤工事が完了していたが廃棄された 周防深川駅 - 高根口駅間にある第三須川トンネルは
現在防災科学技術研究所の錦地震観測施設として活用 六日市トンネル(高根口 - 六日市間)から
六日市温泉にかけては遊歩道として利用されている 設置未成駅は 出市・周防深川・下須川・高根口・六日市
(以上山口県) 七日市・柿木(以上島根県)である
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「道の駅・ピュアラインにしき」前の寺に咲く「百日紅」の花
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早朝の「道の駅・ピュアラインにしき」
清流の起源
錦川の清流は 中国山地特有の地質によって 泥流の発生が抑制されて出来たものであり また上流域が同様の
地質が原因となって深い谷となり 開墾が進まなかったことも要因の一つとされる
中国山地は全般的に風化しやすい花崗岩が多く 侵食を受け小起伏の多い準平原地形を成す
花崗岩は凡そ山陰花崗岩・山陽花崗岩・領家花崗岩に区分され 山陰花崗岩は磁鉄鉱を多く含み
風化し堆積した砂鉄は中国地方における「たたら製鉄」の隆盛を招いた
このように花崗岩は風化して砂礫となり 川に堆積し河床を形成する 砂礫はなおも水流によって真砂となる
水流によって真砂は流され 後には砂礫が残る 砂礫によって川は清流を保つことが出来るのである
真砂は海へ出ると砂浜や砂丘を形成する 鳥取砂丘や瀬戸内海の白砂青松は 花崗岩が崩壊し風化して出来た
真砂により 悠久の年月を重ね作られたものである
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錦川支流・根笠川の清流 川底には砂礫が堆積し水の流れは速い
美川のでかまるくんと岩屋観音
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● 大水車「でかまるくん」について
 美川町の大水車はふるさと創生事業の一環として平成2年に造られ、その後老朽化が進み平成22年に改修工事が行われました。
 日本の水車の歴史は、日本書紀によると七世紀の推古天皇の時代に高麗の僧雲徴が碾磑(てんがい=水力式脱穀製粉用石臼)を造った時に始まったといわれ、千年以上の歴史があります。18世紀後半には全国に普及し戦前まで盛んに活用されていました。
 美川町でも昭和二十年代まで使用されていました。主な用途は精米・揚水・製粉等で日本人の生活の中で身近に親しまれてきました。
 美川町の大水車は岩屋川の上流から高架で清水を引き、上掛式で水車を回しています。在来の水車にありがちな洪水時の流失を防ぐため流出をコントロールできるしくみになっているのが特徴です。水車の直径は約12mです。水車小屋ではそば粉をひいています。
 水車が1回転するたびに石臼が15回転し1時問当たり7kgのそばを製粉します。
 わずかな水で大きな力をだすことができるみずぐるまを通して自然ェネルギー・水資源・食文化・木の文化などについて考え、壮大で、雄々しく、ゆったりと回る水車のように心豊かな、自然の恵みを大切にするふるさと創生でありたいと願っています。
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美川 岩屋観音

地底王国 美川ムーバレー
タングステン鉱山跡を利用した 地底アミューズメント・パーク 夏場は涼しいかと行ってみた
坑内は「涼しい」を通り越して「寒い!」出口から出る頃には体は冷え切って 夏の暑さが心地よい
入場料:冒険アトラクション地底王国アドベンチャー 1300円 受付でLEDライトと記録カードをもらって
カード裏面の古地図を頼りに冒険開始 アイテムを探してカードの謎を解き 記念品の応募が出来る仕組み
公式サイト:http://www.muvalley.com/
美川ムーブバレーは 旧玖珂鉱山坑道43kmのうち850mをテーマパークとしたもので
玖珂鉱山の歴史は古く 銀・スズ・銅・タングステンなどの採掘が行われ400年以上の歴史を持つ
戦国時代の天正年間(1573−1591)には銀が発見され 慶長年間(1596−1614)にはスズが
幕末の嘉永年間(1847−1853)には毛利藩によって銅が稼行された
明治に入ってからタングステン鉱が発見され 明治23年(1890)より採掘が始まり 大正時代に休山したが
昭和16年(1941)に再開した タングステン鉱山として日本一の産出量を誇ったが
昭和20年(1945)に休山し そのまま平成5年(1993)年3月に閉山した
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人もまばらな早朝の本館 2階には宿泊施設もあり
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一番乗り 帰る頃には行列が
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インカ文明を意識したモニュメント
地底からは冷たい風 上着がいるかも
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200席ある地底ホール
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素掘りの坑道跡
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太陽の階段と黄金像
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仮面の神殿
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石柱の回廊
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壁画の回廊
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鉱車と風の回廊入り口
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光る鉱床
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石像の回廊
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霧の神殿
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地底湖
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無限の谷
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地底の滝
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