2013.08.13−17 山口県東部車中泊の旅 No.1 道の駅仁保の郷へ 

前夜に大分県を出発 下関市の「道の駅・きくかわ」で第一泊目の車中泊をした しかし早朝に同下関市の道の駅
「蛍街道西ノ市」に移動して 「きくかわ」より「蛍街道西ノ市」の方が施設・環境ともに優れていると感じた
次回からはこの「道の駅・蛍街道西ノ市」を利用しようと思う
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下関市豊田町大字城戸の木屋川べりにある 平安・鎌倉時代の関所跡
平安時代の中頃、豊田氏が定住すると、この要害の地に城戸(木戸)を設けて関所とし、
南からの侵入者を警戒した。今、この地を城戸(きど)といい、関所の地を節所(せっそ)という。
この城戸のうち山側に片山という関守が住んでいた。
平成14年3月 下関市教育委員会
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朝もや
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道の駅・蛍街道西ノ市
道の駅周辺は田園
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肥中街道 楢原
楢原 正念寺
肥中街道は 室町時代大内氏の本拠地である山口と肥中(ひじゅう)とを結ぶ街道を整備し設けたのが始まりである
鎌倉時代末期・当主となった大内盛見が九州征覇をもくろみ 豊前国に対して 潮の流れの速い赤間関を
敬遠して特牛の北にある 響灘に面し南西に開いた深い入り江の肥中を湊とし 中世期 日本海々運の要衝湊として
繁栄する また「大内家の船倉の在りし地(防長風土注進案)」となり 中国・朝鮮との貿易においても重要な
機能を果たしたといわれ 直属の関奉行が管轄する関が設けられた その後中国地方西部の覇者となった毛利氏に
引き継がれ 毛利氏も海運によってその勢力を維持したと伝えられている 街道はおよそのルートとして
山口市道場門−山陰道−吉敷−寺領−吉敷畑−大峠・馬路峠−柿ノ木原−山田−山露−曽根−平原−桃ノ木
−三ツ杉−麻生−楢原−浮石−久森−特牛−肥中で 現在の国道435号線・県道240号線を辿る

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滝口の露出石炭層 北から麻生・桃木・平原・滝口と露出石炭層があり 古くは露天掘りされていた 明治以前は
地元では燃える石として認識されていたが 明治になって良質の無煙炭であることが判明し大嶺炭鉱が開かれた
大嶺炭田の無煙炭は文字通り煙を出さないため 敵艦に発見される恐れが極めて少なく帝国海軍に重宝された
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鰐石橋
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鰐石橋の旧親柱と鰐石の重岩
鰐石の重岩
山口の町の東南の入口はこの鰐石であった。山口に出入りする旅客の歓送迎がここで行われた。河の中のこの重岩は
古くから山口の名勝として有名で、大内時代山口に来た中国明の趙秩は、山ロ十境の詩を作ったが、
その一つにこの鰐石の景を詠じたものがある。次のような詩である。
禹門に点額して竜とならず 玉立流渓激衝にまかす 自らこれ烟霧はぜを釣る処 幾重の苔蘇は白雲を封ず
この重岩の御神体は恵比須様で締縄の長さは13m50cmある。

素敵な道の駅仁保の郷 2階はギャラリーや教室・貸室
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面白そうなものが売っていた
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