2011.05.05  関門海峡を歩いて渡る

和布刈神社<歩>関門トンネル人道門司口<トンネル内歩道>下関口<歩>みもすそ川公園<バス>戸桟橋
<船>門司桟橋<歩>門司駅<歩>九州鉄道記念館<トロッコ列車>関門海峡めかり駅<歩>和布刈神社
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Start & Goal 和布刈神社
関門トンネル人道門司口
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エレベーターの表示は 地上と地下
人道トンネル内の県境
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自転車も原付も 全て徒歩が原則です
関門トンネル人道下関口
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海峡を行く 大型航海練習帆船 日本丸U世号
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文久3年(1863)及び同4年(1864)の二回にわたり外国船への砲撃に使われた長州砲のレプリカ
一般的に下関戦争と言われるが 特に1864年の砲撃戦を馬関戦争と言う
当時並外れた外国嫌いであった孝明天皇の強い要望により将軍家茂は 文久3年5月10日(1863)をもって
攘夷実行を約束したが 徳川幕府による軍事行動を起こすことはなかった
しかし攘夷思想が蔓延する長州藩では 海峡を封鎖するため通過する外国船への無通告砲撃を行った
約半月を経て 米・仏の軍艦が海峡内に停泊中の長州軍艦に対し報復砲撃し長州海軍に壊滅的打撃を与えた
しかし長州藩は砲台を修復し また九州内の小倉藩領の一部を占拠して新たに砲台を築き海峡封鎖を続行した
翌元治元年(1864)英仏蘭米の4カ国から成る17隻の連合艦隊による艦砲射撃によって
8月5日から7日にかけて 馬関と彦島の砲台が占拠され徹底的に破壊された
戦後処理として長州藩は幕命に従ったのみと主張し 4カ国に対する損害賠償責任は徳川幕府のみが負った
以後長州藩は 攘夷思想を緩和し武力での攘夷を放棄した上で 外国から知識や技術の導入を図ることになる
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連合艦隊砲撃・馬関戦の長州砲(レプリカ)
カメラ小僧も活躍
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海峡の辺で昼食
みもすそ川公園
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関門連絡船 下関・唐戸桟橋
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巌流島上陸ツアー船
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マリンゲート門司・桟橋 唐戸−門司港間 所要時間:5分 運賃:400円
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関門連絡船時代の九州玄関口・門司港駅 0哩ポスト・九州鉄道距離程元標のある始発駅
門司駅として明治24年(1891)4月1日に開設開業した 初代の駅舎は現在の門司駅舎の東側で
現・北九州銀行門司支店の裏手にあり九州鉄道記念館となっている 今も旧0哩ポストの記念碑がある
明治34年(1901)5月27日に関門鉄道連絡船の運航が開始されたが 明治44年(1911)10月から
下関−小森江間で貨物車両の航送が始まり当駅を経由するのは旅客が中心となった
大正3年(1914)現在の駅舎が完成し 昭和17年(1942)に関門トンネルが開通し門司港駅に改称した
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九州鉄道記念館
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嘗ての門司港−田野浦間の貨物専用線跡を利用した門司港レトロ観光線トロッコ列車
九州鉄道記念館から関門海峡めかり駅まで運行
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和布刈トンネルでは天井が光る
関門海峡めかり駅を発車するトロッコ列車

電気機関車 EF301
製造年月日 昭和35年3月16日  製造所 三菱電気新三菱重工
最大長:17.8m 最大幅:2.8m 最大高:3.53m 重量:96.0t
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昭和36年(1961)6月に鹿児島本線・門司港−久留米間の交流電化が完成した 同時に山陽本線の
小郡(新山口)−下関間の直流電化も完成し交直電化の接点が関門トンネル九州側入口の
門司駅構内になったため 同区間を直通して使用できる関門トンネル専用の交直両用電気機関車として
開発されたのがEF30型である  また 本型式は世界初の量産型交直流電気機関車であり
ここに展示されているのは試作車の1号機である
なお 市内門司区九州鉄道記念館に展示しているのは弟分のEF1035号機で 両機ともに北九州市にとって
由緒ある電気機関車と言える 当時のイメージを再現するために同時期に活躍していた客車を連結させている
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休憩所カフェ 客車オハフ33-488 製造:昭和23年3月 日本車輛 長さ19.5m 幅2.9m 高さ2.86m 重量31t
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長大なプラレールのイベント
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夕刻 川のように流れの速くなった海峡 潮待ちで船の姿はない 今も昔も難所である
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