2010.05.31  石橋巡りの旅 山陰・鳥取〜島根

岡山県真庭市蒜山西茅部郷原 茅部神社 日本一の石造鳥居 文久3年(1863)建造
真庭市指定文化財 建造物 茅部神社の大鳥居
安政7年(1860)正月、茅部神社の氏子石賀理左文、友金宇平は、近江の多賀大社に参拝した時、同神社の
石鳥居が日本一だと聞き、これより大きいものを地元に造り日本一にしようと考え、実測して帰つた。
三年後の文久3年(1863)にその願いを果たしたという。石材は茅部神社のある岩倉山の花花崗岩である。
石工は、伯老国倉吉(現倉吉市)の横山直三郎、郷原在住の米倉鉄造の二人が腕をふるつたようである。
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二本の柱と笠木・島木・貫・額束で組み立てた明神型鳥居で、柱は地中に基礎をつくって下部を深く埋め
地上の長さ約11.45m、直径約1.20m、下部約3mを別石で十二角に仕上げ、その上に円柱を継ぎ接合点は
鉄の鎹でとめてある。地上から笠木の上端までの全高約13.8mであったが、
何度かの補修で下部を埋め立てたため、現在の大きさは次のようになっている。
高さ:10.65m(過去最高13.8m) 幅:14.20m 貫下:7.20m 柱直径:1.02m
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右柱に明治十九年八月の修理日付 左柱に文久三年亥十一月の建立日が刻まれている

鳥取県倉吉市
室町時代に山名氏による伯耆国守護所の館(城)が打吹山に築かれ 山麓に町屋が形成されたのが始まりである
秀吉の天下統一後は湯梨浜の羽衣石城を拠点とする守護大名・南条氏の支配となり城と城下町が整備された
関ヶ原の戦いで西軍についた南条氏が改易され倉吉は米子藩領となったが
慶長14年(1609)の中村氏改易後は天領とされた 慶長19年(1614)に安房館山から安房里見氏が
倉吉に移封され倉吉藩が立てられたが 幕府による事実上の配流であり「支配」とは言い難いものであった
元和3年(1617)池田宗家の光政が鳥取藩主として入封し6万石から32万石まで藩領が加増され
倉吉は鳥取藩の所領となった 寛永9年(1632)宗家光政に替わり 岡山藩池田宗家から独立し松平姓と葵御紋を
下賜された准家門の池田光仲が鳥取藩主となって家老の倉吉荒尾氏の封地となった
自治の許しを得た荒尾氏は 打吹山麓に陣屋を設け倉吉を治め以降は商工業の中心として繁栄した
陣屋の跡地は現在「成徳小学校」となっている
打吹玉川(うつぶきたまがわ)石橋群と赤瓦白土塀
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国立第三銀行 明治41年(1908)建築
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打吹玉川(伝統的建造物群保存地区)は陣屋跡の北方に位置し 江戸初期から大正まで商業都市として栄えた
本町の石州瓦の町家群や玉川沿いの土蔵群など 約100棟の江戸末期から昭和までの伝統的建造物が現存する
平成10年(1998)に重要伝統的建造物群保存地区として4.7haが選定され
平成22年(2010)には既選定地区の西に位置する西仲町・西町など4.5haが追加選定された

島根県松江市外中原町 浄土宗 歓喜山 月照寺
元は洞雲寺(とううんじ)という禅宗の荒寺であったが 初代松江藩主・松平直政公によって母・月照院の
霊牌安置所として寛文4年(1664)に 浄土宗の長誉を開基として寺を再興したのが始まり
当初は蒙光山(むこうさん)としていたが 二代目藩主の綱隆が父の遺命により境内に廟を造り
山号を「歓喜山」に改め 以後は九代藩主までの菩提寺となった
平成8年(1996)に「松江藩主松平家墓所」として国の史跡に指定された
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島根県松江市八雲町熊野 熊野大社
出雲大社と共に出雲国一宮であるが 歴史は出雲大社よりも古い 祭神は櫛御気野命(クシミケヌノミコト)で
素盞嗚命(スサノオノミコト)と同一神とされている
「クシ」は「奇」 「ミケ」は「御食」の意であり そのことから食物神とする説が通説となっている
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紀伊国の熊野三山は この熊野大社を紀伊国に勧請したという説と全くの別系統とする二通りの説があり
社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている
出雲大社
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出雲大社 神楽殿
北島国造館 天満宮参道橋
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出雲大社参道
一畑電車
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一畑口駅
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一畑電車 出雲大社前駅 昭和5年(1930)建設RC建造物
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昭和3年(1928)日本車両製
デハニ50形・52号
平成21年(2009)に現役引退
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デハニ50形52号運転台
島根県大田市  世界遺産 石見銀山
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山であった
最盛期には日本が世界の銀の約1/3を産出していたと推定され その産出量の多くを占めた銀山である
大森銀山とも呼ばれ江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれていた
明治期以降は枯渇した銀に代わり銅などが採鉱されたが
昭和18年(1943)に水害で坑道が水没する大打撃を受け完全閉山となった
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平成19年(2007)7月2日 世界遺産(文化遺産)に登録された
一般に銀山開発においては精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされ森林伐採など環境負荷が大きいとされるが
石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず 狭い坑道を掘り進んで採掘するという
環境に配慮した生産方式」を積極的に紹介することにより 今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む
森林が残されてきている点が特に評価された 同年には日本の地質百選にも選定された
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石見銀山森町の家並み
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石見銀山 羅漢町橋
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石見銀山 五百羅漢橋
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島根県江津市黒松町 山陰本線黒松駅南のアーチ橋
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