2024.10.12-13 大分県佐伯市 九州最東端 鶴見半島 鶴御崎

鶴見半島は 日豊リアス海岸の中心部を成す半島で 番匠川河口右岸から豊後水道に大きく張り出し
北は佐伯湾 南は米水津(よのうづ)湾に面する かつては半島全域が南海部(みなみあまべ)郡に属し
半島北部が鶴見町 南部が米水津村となっていた 平成17年(2005)の大合併により半島全域が佐伯市となった

鶴見半島は 深海底に堆積した放散虫の遺骸からなる非常に堅い岩石が 太平洋プレートの移動によって
日本列島に運ばれ堆積したもので 海蝕作用によって複雑で急峻な地形が創り出されたものである
平地は極僅かで 漁業に従事する海人が多く住み 古代律令制では佐賀関半島以南日向国境までの広範囲に
豊後国海部郡が立てられた 近世には集落の背後に山頂に届くほどの段々畑が開墾され 僅かな農地を守るため
稜線に沿って総延長十数kmのシシ垣が築かれた 江戸時代は 鶴見半島全域が佐伯藩の所領となり
明治11年(1878)には海部郡が南北に分割され 四浦半島南の上浦以南の旧佐伯藩領全域が南海部郡となった

明治に入り 豊後水道のほぼ中央に位置する水ノ子島に灯台が建設され 明治37年(1904)3月に初点灯
鶴見半島北部の下梶寄に灯台吏員の退息所が建設された 続く大正時代には 豊後水道防衛のため要塞建設を計画
大正10年(1921)豊予要塞の工事に着手 この要塞完成により芸予要塞・広島湾要塞が廃止された

昭和16年(1941)12月の日米開戦を控え 同年11月に戦備増強が図られ 巡洋艦・伊吹の後部主砲である
45口径30センチ2連装カノン砲を転用して作られた丹賀砲台で 翌年1月に行われた実射訓練で砲腔爆発を引起し
死者多数のうえ再起不能となった 同年3月に代替砲台として鶴見崎砲台の工事に着手 9月に竣工した
最終的には豊後水道を挟む九四両岸一帯の13ヶ所に 計46門の砲台が設置され豊後水道の全てを射程内に納めたが
工事の完了は 昭和20年(1945)8月15日のポツダム宣言受諾の直前であった


2024.10.12 大分県佐伯市蒲江大字畑野浦 江武戸神社(えぶとじんじゃ)
竹野浦河内の高平展望公園から畑野浦の空の公園に移動する途中 畑野浦の古社・江武戸神社に立ち寄る
「海に向かって鳥居がある神社」というよりも「海が参道」の海上安全を祈願してきた氏神である
明治36年の地図では 畑野浦の入口である江武戸鼻にポツンと建つ神社で現在と違い周囲に民家は無い
社伝によれば 平安時代初期の安和(あんな)元年(968)の創建
現在の祭神は神武天皇の祖父とされる彦火火出見(ひこほほでみ) 漁業の神で大国主の子・事代主
黄泉国から戻った伊邪那岐(いざなぎ)が禊を行った際に生まれた住吉三神の底筒男・中筒男・上筒男の5柱

神武東征の際畑野浦に寄港 船出の折に海上安全と武運長久を祈願し邑人が江武戸鼻の岩礁に御幣を立てた
安和元年 同地に祠を建立したのが江武戸神社の始まりとされ 江戸時代に佐伯藩主の命により庄屋達によって
豊漁安全の神として社殿を建立させたとある 以降は漁師たちの崇敬を集め 嘗て第二次大戦頃までの例祭には
上入津村全ての漁船が大漁旗を立て 御幣礁から鳥居前までの間に船を並べ一大絵巻のようであったと記される

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13:30 対岸の「下り松鼻」の旧国道から遠望する江武戸神社の鳥居 参道は海上にあり
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浜から入るための鳥居と参道
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13:45
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尾浦・畑野浦・楠本・河内・西浦湾に分かれ尾浦・畑野浦・楠本浦・竹野浦・西野浦の五湾五浦を抱える入津湾
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拝殿
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13:51 唐破風の軒先飾りは 波に鯛

2024.10.13 大分県佐伯市米水津大字浦代浦(うらしろうら)  鶴見半島 鶴御崎
前日に蒲江の高平山と石槌山に2座連続の山歩きをして 道の駅やよいに車中泊 翌早朝から鶴御崎に向かう
道の駅から鶴御崎公共駐車場まで約35km・1時間強の道程 国道388号から県道501号線・ふるさと農道の
粟嶋トンネルと小浦中越ふれあいトンネルを抜け鶴見中越浦に出る 半島の南米水津側には小浦以東に道がなく
切り立った断崖が連続する 中越浦からは番匠川河口を起点に半島の北部を縫うように鶴御崎灯台まで通じる
県道604号梶寄浦佐伯線に入り約14kmの狭窄で急カーブの道を経て鶴御崎公共駐車場に至る

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国土地理院空中写真 鶴見半島 鶴御崎と鶴見大島南端
1.鶴御崎灯台 (旧海軍望楼跡) 2.鶴御崎自然公園 展望ブリッジ 3.下梶寄浦 水の子島海事資料館
4.元の間海峡 段々展望所 5.丹賀砲台ドーム 6.佐伯市鶴見大字中越浦 7.佐伯市米水津大字小浦

鶴御崎灯台 九州最東端・豊予要塞跡・旧海軍望楼跡・新第一砲台跡
標高186mの絶壁上に明治27年(1894)に海軍望楼が設置され 戦後の昭和56年(1981)3月に灯台が竣工した
光達距離:23.0海里(42.6km) 灯火標高:197 m

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九州最東端-灯台・望楼跡-兵舎跡-砲台跡 可能な範囲全て行く
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7:40 鶴御崎公共駐車場
灯台と九州最東端への遊歩道
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斜面に穿たれた防空壕?の跡
椿の道
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灯台の左側を抜けて東端の岬へ
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7:56 北緯32度55分 東経132度5分 九州最東端 鶴御崎 東の展望は四国が霞んで見える
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佐伯市鶴見産のゆるキャラ 名前は「さいとうたん」
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北側の展望 鶴見大島壇ノ鼻
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豊後水道南端
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鶴御崎から15.2km沖合の水ノ子島灯台 奥に見えるのは愛媛県宇和島市の日振島 灯台から17km
  日振島の奥に見えるのは愛媛県北部の山々
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鶴御埼灯台 塔高:14.5m
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鶴見大島壇ノ鼻
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8:10 鶴御埼灯台
旧海軍望楼跡
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山頂の鶴御崎自然公園展望ブリッジと展望休憩所
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標高279mの展望ブリッジと丹賀砲塔砲台砲腔大爆発事故後の昭和17年9月竣工の旧鶴見第一砲台と観測所
昭和20年3月に第1砲台を鶴御崎北側の洞窟内に移設 旧第2砲台の榴弾砲4門を配備し新鶴見第二砲台となる
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8:13 鶴御崎東端展望台
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四国展望案内図 八幡浜・宇和島・宿毛
望楼内部から
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東端展望台から見る灯台
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 8:30 望楼の下部には 旧豊予要塞の八八式海岸射撃員観測所が設置された 昭和56年の灯台建設後に
「最東館」という展示室に改装 当初は「富永一郎まんが館」が開設されたが その後閉館され廃墟となる
 現在 まんが館は鶴見地域コミュニティセンター内に移転し「富永一朗 海の漫画館」となっている
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崩壊した塹壕跡
塹壕跡
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手入れされていない兵舎跡への道
草に覆われた貯蔵庫跡 先に進めず
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貯蔵庫のコンクリート塀
貯水槽
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大分県佐伯市米水津大字浦代浦 新鶴見第一砲台跡
昭和20年(1945)3月 現灯台の北側の崖地に洞窟を穿ち 米軍の上陸を想定した本土決戦に備え
山頂の鶴見崎第1砲台にあった7年式15cmカノン砲4門を移設し 新鶴見崎第一砲台とした
しかし 制空権を奪われ戦闘形態は空母と航空機が主役となり また長距離爆撃機による攻撃には無力であり
同年8月の敗戦まで これらの砲台から一発の弾頭も発射されることはなかった

現在も残る砲台洞窟は 地元民を徴用し短期で作られ 素掘り天井なども含め粗末なものである

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1番砲台 掘下げ部コンクリート 素掘り天井
2番砲台 大半が素掘りの洞窟
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3番砲台はコンクリート製
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8:54 台座部も残る4番砲台
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アメリカデイゴ 学名:Erythrina crista-galli 沖縄県の県花である「デイゴ」とは別種
ブラジル原産とされ日本に渡来したのは江戸時代 本州の関東以南で栽培され鹿児島県の県木でもある
花言葉は「勇敢」「情熱」


大分県佐伯市米水津大字浦代浦 鶴御崎自然公園 展望ブリッジ 旧第一砲台・観測所跡
昭和17年(1942)1月の鶴見崎砲台(丹賀砲塔砲台)実弾射撃演習中の腔内大爆発事故後 代換砲台として
丹賀に鶴見崎第2砲台が この山頂には7年式15cmカノン砲4門の鶴見崎第1砲台と観測所が同年9月に竣工した

昭和20年(1945)3月に第1砲台のカノン砲4門が 鶴御崎灯台北の洞窟に移設され新鶴御崎第一砲台に
この第一砲台跡地には 鶴見崎第2砲台の38式12cm榴弾砲4門が移設され 新鶴御崎第二砲台となった

標高279mの山頂にある延長54mの展望ブリッジが竣工したのは 平成3年(1991)で
眼下に九州最東端の地と鶴御埼灯台を眺めることができ また初日出の名勝地でもある

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展望ブリッジ駐車場 佐伯市観光ナビ転載
歩道横の防空壕跡
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9:20 トレッキングコースのような展望デッキへの遊歩道
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米水津湾 横島と観音鼻 背後は仙崎山・高平山・入津湾・石槌山・元越山
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鶴御埼灯台
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逆光ではない写真 佐伯市観光ナビ転載
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9:30 展望ブリッジ
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展望ブリッジ
第一砲台観測所
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観測所入口
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観測所内部
豊後水道を通過する敵艦隊の位置を測定し 鶴御崎三十センチ砲塔砲台に連絡する目的で建設された
後に配備された7年式15cmカノン砲4門は約10m下に設置されていたが 完璧に破壊され詳細は不明
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方位計及び観測機器の台座
防草も草刈もされない園地
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鶴御崎自然公園レストハウス 鶴見半島ビジターセンター(ミュージアム)の廃墟
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鶴御崎と言えば 鳥羽一郎の演歌「男の港」 38年前の昭和61年(1986)4月21日発売

大分県佐伯市鶴見大字梶寄浦字下梶寄 水の子島海事資料館・渡り鳥館
水ノ子島は豊後水道の中央に位置する無人島で 呉鎮守府を母港とする旧帝国海軍の艦船が豊後水道を航行する際に
障害となったことから 明治33年(1900)に石造灯台の建設に着工し 明治37年(1904)3月20日初点灯した
岩礁で成る離島のため工事は難渋を極め 異例とも言える4年の歳月を要した

昭和61年(1986)に完全自動化されるまでは灯台守が常駐し 鶴見の下梶寄に灯台吏員退息所及び物置所が
建設され 当初 灯台守の交代要員および食料や水は手漕ぎの小舟で運ばれた その苦労の様子は
昭和32年(1957)の映画『喜びも悲しみも幾歳月』に登場し 全国民の知ることとなった
明治37年(1904)に完成した吏員退息所は昭和37年(1962)まで使用され 内部に5戸の住居を有する大規模な
煉瓦造の建物で 灯台の職員やその家族が生活していた 昭和58年(1983)に鶴見町に払い下げられた

昭和62年(1987)灯台吏員退息所及び物置所を改装し 豊後水道海事博物館及び渡り鳥館が開館
平成10年(1998)4月 旧水ノ子島灯台吏員退息所など3件が登録有形文化財に登録された
平成21年(2009)2月 近代化産業遺産に認定 旧吏員退息所の海事資料館には灯台の模型や漁具等が
旧物置所の渡り鳥館には 昭和38年(1963)から昭和59年(1984)まで 水ノ子島灯台に衝突死亡し
灯台の吏員・川原忠武氏によって剥製にされた62種550羽の渡り鳥が展示されている

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10:00 下梶寄海岸海水浴場と鶴見大島
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下梶寄海岸から水ノ子島灯台まで直線距離で14.55km 左の灯台がある岩礁島は先ノ瀬
なお水ノ子島の行政区は 大分県佐伯市鶴見大字大島となっている
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旧吏員退息所の海事資料館
竣工:明治37年(1904)3月 煉瓦造平屋建・瓦葺・便所棟付属 建築面積242平方m
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豊後水道海事博物館 沿革
昭和25年設置 3等大型 旧フレネルレンズ
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明治18年(1885)12月から昭和18年(1943)11月の逓信・鉄道両省の合併まで 灯台は逓信省の所管で
あったことから屋根瓦に「〒」印が刻まれている 逓信・鉄道両省が合併して運輸通信省が設置され
戦後も灯台管理は運輸省の所管となった 昭和23年(1948)5月に運輸省の外局として海上保安庁が発足し
灯台に関する業務も海上保安庁の所管となった 平成13年(2001)1月に国土交通省の外局となった

大分県佐伯市鶴見大字梶寄浦 元の間海峡 段々展望所
元の間海峡は鶴見半島梶寄席浦と鶴見大島の間にある幅およそ500mの海峡で 上げ潮と下げ潮がぶつかり
大潮の時期には 海面に1m以上の段差を生じ激しく渦が巻きます 海峡の中間に立つ「元の間海峡標」は
船舶の座礁事故が多多発することから 航路の安全を図って建設されたものである
かつて段々に作られた階段状の展望所は手入なく荒廃し 残念ながら降りることは困難である

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10:40 鶴見大島
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鶴見大島壇ノ鼻 海蝕洞「壇の窓」
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大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦 旧鶴御崎三十センチ砲塔砲台
俗に丹賀砲塔砲台と呼ばれる海軍の戦艦・巡洋艦などの主砲を陸上に設置した砲台である 大正15年(1926)に
鶴御崎砲台の工事実施が下命され 大正10年(1921)に批准されたワシントン軍縮条約により
廃艦となる巡洋艦「伊吹」(明治42年竣工)後部の41式45口径30cm2連装砲塔を設置する難工事であったが
昭和6年(1931)9月に竣工した 昭和16年(1941)12月の太平洋戦争開戦前の緊迫した情勢を背景に豊予要塞に
緊急戦備が発令された 昭和17年1月11日 要塞重砲兵連隊は鶴御崎砲塔砲台の実弾試射を実施 左右砲身毎に
射距離10km・20km各4発計8発の実弾発射を行ったが 最後の砲弾が右砲膣内で暴発し砲身破裂を引き起こした

砲室内にいた連隊長以下16名が即死 砲塔下部にいた28名が重軽傷となり 砲台も破棄せざるを得なかった
鶴御崎砲塔砲台の代替えとして 灯台背後の山頂に7年式15cmカノン砲4門を配備し鶴見第一砲台を
丹賀には榴弾砲4門を配備し鶴見第二砲台となった 昭和20年(1945)3月 榴弾砲4門が旧第一砲台に移設された

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佐伯市観光ナビ https://www.visit-saiki.jp/ 丹賀砲台園地 丹賀砲塔砲台配備図
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丹賀砲台園地(佐伯市観光ナビ)
砲台跡登口
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砲弾上げ場の斜坑 172段の階段 角度はかなりきつい 右側は観光用リフト
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11:00 地下壕の廊下
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動力室
貯水槽
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見上げる砲塔井跡
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丹賀園地からの展望 元の間海峡
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鶴見大島赤鼻 背後は大島北端の高手島・小間島
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鶴見中越浦の宇戸島 背後に大入島(右)と佐伯港を遠望 背後の山は尺間山
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漁網にかかった二式大艇のプロペラ
地下弾薬庫
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11:30 地下弾薬庫内部

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