2015.05.20-21  指宿散策その2

道の駅・山川港活お街道で車中泊する 根占港行きフェリー乗り場のある山川港は
薩摩半島の突端東にあるため通過する車はない その上道の駅に違法常駐する車もない
そのため夜間は驚くほど静かである 南隣には漁師料理の店「むげん」が夜遅くまで開店している
車中泊で新鮮な海鮮料理を食べ 生ビールや焼酎まで飲める こんな道の駅はまだ他には知らない

夕刻の山川港を散策する
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ショーウインドウの蛸壺
ポストの足下が何か不自然?
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指宿南交番 尖塔屋根の上には風見鶏ならぬ「風見鰹」が風に泳ぐ
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現役の煉瓦煙突
煉瓦造の鰹節乾燥場 蔦が絡まり見えない
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プラスチック製とコンクリート製の蛸壺
かつお節乾燥用木材
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燻蒸用燃料はナラやシイの木を使う
夕方の漁港は静か 漁具倉庫前
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山川港埠頭
山川湾は 約5千年前の火山噴火によって形成され その大きさからカルデラにも分類されるマールである
周囲4km 最深部は51mあり 東部の砂嘴ともに天然の良港となる条件を兼ね備えている
近くにある池田湖・鰻池・開聞岳など 火山・カルデラ・火口湖・マールが多く見られ これらは同時期の
火山噴火でできたとされる 山川湊は天然の良港として古くから利用され 砂嘴の形が鶴の嘴に似ていることから
江戸時代には「鶴の港」と呼ばれていた 文献による最古の記述は鎌倉時代の建保5年(1217)まで逆載る
当時は 南蛮貿易における重要な中継地の一つとなり 都市を形成していたと考えられている
島津氏の直接支配は 信長没後の天正11年(1583)頃からで 島津氏の拠点港として機能していく
江戸時代 国外貿易の徳川家独占(鎖国令)により南蛮貿易が終息した後は 薩摩藩による琉球密貿易の拠点となる
明治以降は沿岸漁業の基地となり 昭和30年代にカツオ遠洋漁業が盛んとなったが 漁獲量の減少により
水産加工業にシフトしている 現在 労働力として雇われた中国人女性労働者を多く見かける
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廃屋はハトの巣
地蔵さん
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先ほどのポストの台座があった
浄土真宗 正竜寺
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石造の金剛力士像
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寺と唐人町跡の石塀 近辺で採れる火山性凝灰岩が使われている
5月21日 今日は開聞岳に登る 2月に雨にたたられ登山中止の再挑戦(九州の山参照)
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池に映る逆さ「薩摩富士」
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昨日は黄砂と桜島の降灰で霞んで見えなかった 今日も午後には灰が降った
山から下りてヘルシーランドの温泉へ 目当ての露天「たまて箱温泉」は木曜定休日だった
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ヘルシーランドのグランドから竹山 グランドは約13haの広さがある
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スヌーピーが犬小屋の上で仰向けに寝ている姿に 山容が見えるらしい
それで別名「スヌーピー山」という こちらの頂きはスヌーピーの後ろ足先となる
5〜6万年前マグマが地表に噴出する手前で急に冷えて固まった火成岩塊で
その後周りが浸食され露出したもの 標高は約200mあり 修験道の霊場であったとも伝えられる
瀬平公園・富士見PA
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遊泳禁止の浜村海岸
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薩摩富士・開聞岳と国道226号線
番所鼻自然公園 番所鼻・海の池と竜宮の道
海の池が生成されたのは 二度の火山活動により噴出した溶岩流によるもので
一回目の約24万年前に噴出した鳥浜火砕流により形成された溶岩塊を 二回目となる約11万年前発生の
阿多火砕流の溶岩が覆い その阿多火砕流による溶岩の割れ目から 雨や海水が入り込み
下部にあった鳥浜火砕流の地層を徐々に浸食し空洞となった その後 屋根部分の溶岩が崩れ落ち
現在の形となったものである  頴娃町から坊津に至る海岸線で今でもみられる黒い岩礁は
約11万年前の阿多火砕流が海岸を埋め尽くした名残で 太古の火山活動の凄まじさを物語るものである
またほぼ円形の岩礁が残るこうした地形は全国的にも珍しいものと言える
数十万年前の火山活動とその後の浸食により形成された天然の岩礁は 海に浮かぶ池の様に見えることから
「海の池」と呼ばれる 薩摩半島の海幸彦・山幸彦の神話にまつわる竜宮伝説の舞台とされ
独特の神秘的な地形からこの「海の池」の中には竜宮城の入り口があったとの伝説が残る
池を囲む岩礁の連なりを「竜宮の道」と言い 好天時には周回することができる
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波によって窪みの中で石が廻り 甌穴が多く見られる 中には取り残された小生物がたくさん
釜蓋神社
正式名は射楯兵主(いたてつわものぬし)神社と言い 祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)である
高さ30mの自然石が御神体として祭られ 必勝祈願の「武の神」として参拝される
近年 サッカー「なでしこジャパン」の沢穂希選手や日本代表の中村俊輔を始めとして
多くのスポーツ選手や芸能人などが参拝し 話題としたことから一躍有名になったパワースポットである
由来は 飛鳥時代に天智天皇と妃の大宮姫が大勢の供連れで 頴娃に住む安東実重中将を訪ねたおり
接待に要する飯を大きな釜で蒸していると突風が吹き 大きな釜の蓋は天高く吹き飛ばされ
風に運ばれ大川浦(今の釜蓋神社のある場所)に落ちた 驚いた大川の人々はこの釜蓋を拾い神として祀り
「釜蓋大明神」と呼ぶようになった 後に素戔嗚尊を合祀し現在の「釜蓋神社(射楯兵主神社)」となった
戦時中は 釜蓋を頭にかぶって参拝すると 無事に帰って来られるとして 多数の参拝者が訪れた
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背後の岩山が御神体
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頭の上に釜蓋を載せて参拝 礼の必要はないが拍手と賽銭は必要なので難しい
右隅の2人用の釜蓋など大変である 「カミさん」には 何をお願いしたのか恐ろしくて聞けなかった
南さつま市加世田 県立吹上浜海浜公園
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サンセットブリッジ
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吹上浜の夕日を見る
今日の車中泊は 芦北町「道の駅・たのうら」 そして明日午前中に帰宅予定とする
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