別府鉄輪温泉で湯治 1日目の散歩は少し遠出をして 日出町の深江地区を歩く
深江湊は日出城下から東へ約1里5丁(4.6km)にあり 緩やかに波打ちながら狭まる入り江を着物の「襟」に例え
別名「襟江」とも呼ばれる「天然の良港」である 周防灘に船出した船が深江湊で風待ちをしていたが
やがて浜に旅籠・置屋・雑貨屋などが建ち並び 速見郡内で最も賑わっていたと云われる
今も名残として各家に「屋号」が残り 千円普請(現在の約2千万円程度)の建物が点在する地域である
2014.12.21 大分県日出町深江の散歩と石ころたちの動物園
深江漁港
襟江亭
寛文7年(1667)に3代日出藩主の木下俊長が 参勤交代御用船の「風待ち」や「潮待ち」のため設けた
宿泊休憩の茶屋で 藩主別宅及び来賓接待所として幕末まで使われていた
また伊能忠敬の宿泊所として使われた記録も残る
屋根の軒瓦には木下家の家紋が見て取れ 全国で唯一残る御茶屋である
襟江亭
寛文7年(1667)に3代日出藩主の木下俊長が 参勤交代御用船の「風待ち」や「潮待ち」のため設けた
宿泊休憩の茶屋で 藩主別宅及び来賓接待所として幕末まで使われていた
また伊能忠敬の宿泊所として使われた記録も残る
屋根の軒瓦には木下家の家紋が見て取れ 全国で唯一残る御茶屋である
崖の湧泉と地蔵様
新しい住宅地は崖の上
深江地区旧通り
お庄屋
漁村に似つかわしい「住吉神社」
●境内摂社の回天神社
人間魚雷回天により散った英霊を祀る
●常夜灯
宝永7年(1710)8月28日 日出藩三代藩主木下俊長は
「住吉大明神境内」と「牧の内・鵜の鼻」に灯台の役目をする石造の常夜灯を設け 番人をつけて宵の内は菜種油を燃やし 深江湊に出入りする舟の安全を図った
深江湊は「襟江」とも呼ばれ 湊の奥行きは十丁あり三百隻の舟が停泊係留できたと言われている
牧の内の常夜灯は現存せず 深江住吉神社境内の常夜灯が唯一残されたものである 終戦後はこの常夜灯に裸電球を灯し 神社直下の深江港を照らしていた
人間魚雷回天により散った英霊を祀る
●常夜灯
宝永7年(1710)8月28日 日出藩三代藩主木下俊長は
「住吉大明神境内」と「牧の内・鵜の鼻」に灯台の役目をする石造の常夜灯を設け 番人をつけて宵の内は菜種油を燃やし 深江湊に出入りする舟の安全を図った
深江湊は「襟江」とも呼ばれ 湊の奥行きは十丁あり三百隻の舟が停泊係留できたと言われている
牧の内の常夜灯は現存せず 深江住吉神社境内の常夜灯が唯一残されたものである 終戦後はこの常夜灯に裸電球を灯し 神社直下の深江港を照らしていた
人間魚雷回天基地跡の掲示板
「回天」の変速機(実物)
今はアオサギの飛ぶ平和な港
今はアオサギの飛ぶ平和な港
今日 朝市は休みだが開催日は賑わう
住吉神社の崖に掘られた回天格納壕
住吉神社の崖に掘られた回天格納壕
回天原寸大レプリカが展示されている遺跡公園整備地 テスト用水槽などが残る
回天1型
全長:14.75m 胴直径:1.00m 全重量:8.3t 行動半径:78km(10ノット)23km(30ノット)
機関:93式酸素魚雷機関 炸薬量:1.55t
回天1型
全長:14.75m 胴直径:1.00m 全重量:8.3t 行動半径:78km(10ノット)23km(30ノット)
機関:93式酸素魚雷機関 炸薬量:1.55t