2011.12.21−22 淡路・金毘羅・道後の旅 No.3 金比羅大芝居

Link:旧金比羅大芝居(金丸座)琴平町オフィシャルページ
fuda 旧金毘羅大芝居は、天保6年(1835)に建てられた、現存する日本最古の芝居小屋です。江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、年3回(3・6・10月)の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎などの興行を行っていました。しかし、だんだんに門前町の形態が整ってくるにつれて常小屋の必要性と、また一方その設置を望む多数の庶民の声を反映し、高松藩寺社方より許可を契機に、当時、大阪三座の一つ大西芝居(後の浪花座)を模し、富籤(現在の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた定小屋として建てられました。小屋の名称は所有者が変るたびに変更し、明治33年に「金丸座」と改名した後は現在でもこの愛称で親しまれています。
 昭和45年に「旧金毘羅大芝居」として国の重要文化財に指定され、昭和47年から4年間の歳月をかけて現在の場所に移築復元ししました。(元の場所は、現在琴平町歴史民俗資料館が建っているところです)
 昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、四国路に春を告げる風物詩となっています。平成15年度に復原及び耐震構造工事(平成の大改修)が行われ、併せて調査中に発見された痕跡を検証し、これらの判明した「ブドウ棚」と「かけすじ」 を復原し、より江戸時代の情緒あふれる姿に再現することができました。
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舞台の左側を下手 右側を上手とし 下手側が花道 上手側を仮花道と呼ぶ 舞台前の天井に下がるのは
顔見世提灯 天井の竹組格子はブドウ棚と呼ばれ「花吹雪」を散らしたりする ブドウ棚下手側の木組みは
「かけすじ」といい宙づりなどするための装置である このように古来の施設を持つ歌舞伎小屋は他には例がない
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回り舞台の樫製のこま(ベアリング)
舞台の奈落 直径4間(7.3m)の人力回り舞台
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楽屋(大部屋)
花道の奈落 途中に昇降装置の「すっぽん」がある
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舞台から
1・2階の東桟敷席と中央に傾斜する平場席
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琴平町公会堂 昭和9年(1934)建築

2011.12.23  道後温泉

日本三古湯の一といわれ 日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる温泉である
その存在は古代から知られ 古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい 万葉集巻一に見える
伊予国(いよのくに)という名前も 湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある
道後温泉は 神話の昔はもちろん 史実上の記録に登場する温泉としても 日本最古級の歴史を持つ
白鷺伝説
昔 足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ 傷が癒えて 飛び立って行くのを見て
村人が温泉を発見したという伝説がある 道後温泉のみならず 白鷺と温泉の縁は深く 各地の温泉の
発見物語に白鷺が登場する 白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており 道後温泉本館の周囲の柵にも
白鷺をモチーフとした意匠がみられる また鷺谷という地名が残る
伊予国風土記
神話の時代 大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ 長旅の疲れからか
少彦名命が急病に苦しんだ 大国主命は大分の「速見の湯」(別府温泉)を海底に管を通して道後へと導き
小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ たちまち元気を取り戻し 喜んだ少彦名命は石の上で
踊りだしたという この模様を模して 湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれている
なお 有馬温泉 玉造温泉ほか全国の各地に類似の伝説が残る
596年 厩戸皇子(聖徳太子)来湯
病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記に記されている 皇子は伊佐爾波の岡に登り
風景と湯を絶賛し 記念に碑文を遺したとされるが 今日までその現物は発見されておらず
道後温泉最大の謎とされている 14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある
Link:道後温泉物語・道後温泉旅館協同組合HP
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道後温泉本館
明治27年(1894)から大正13年(1924)に建設された近代和風建築を代表する歴史的建造物である
1994年に国の重要文化財として指定され 2009年には経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された
最上部の振鷺閣(しんろかく)は刻太鼓を鳴らす場所で朝6時の開館時および正午と午後6時に鳴らされる
1996年に環境庁の日本の音風景百選に指定された この歴史的建造物の誕生は 1890年道後湯之町の初代町長に
伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が就任したことに始まる その頃町最大の懸案は 老朽化していた道後温泉の
改築であった 伊佐庭は町長就任に際して 自ら無給とし その給料分を温泉の改築費用に充てることとした
総工費は13万5千円 当時の小学校教員の初任給が8円といわれた時代で あまりに膨大な予算に町民は驚き
町の財政破綻を懸念し激しい反対運動が起きたが 完成した木造三層楼は注目を浴び当時でも大変珍しがられた
伊佐庭はさらに道後への鉄道の引き込みも企図し 道後鉄道株式会社を設立 一番町〜道後 道後〜三津口間に
軽便鉄道を走らせ 客を温泉へ運んだ 文豪・夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは 本館の
完成した翌年のこと 漱石はその建築に感嘆し実際に、頻繁に通ったという 手紙や後の小説『坊つちやん』の
中で「温泉だけは立派なものだ」と絶賛している 漱石の手紙によれば 8銭の入浴料で「湯に入れば頭まで
石鹸で洗って」もらうことができ また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食う」ことができたようである
本館正面玄関には「道後温泉」と書かれた額が掲示されているが これは新築当時からあったものではなく
1950年に道後温泉を舞台とした獅子文六原作の松竹映画『てんやわんや』が撮影された時に 道後温泉と一目で
分かるように撮影スタッフが掲げたベニヤ板製のものがはじまりである これは撮影終了時に撤去されるはず
だったが 利用客からも好評で存続することになった 文字は松山出身の画家・村田英鳳による
証拠に文字が戦前主流だった右横書きではない 老朽化が激しく 昭和61年(1986)に現在の額に交換された
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伊佐爾波神社石段
伊予鉄道 道後温泉駅
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駅ホーム
終点の待避線
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明治44年(1911)建築の旧駅舎を明治洋風建築そのまま再現 坊ちゃん列車はディーゼルエンジンのレプリカ
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