2011.12.21−22  鳴門・琴平の旅

大阪から淡路と四国を周り九州まで帰る 近畿道−中国吹田IC−山陽三木JCT−明石海峡大橋−津名一宮IC
−伊弉諾神宮(淡路一宮)−ワールドパークONOKORO−洲本−賀集八幡神社−大鳴門橋記念公園 PM 1:30
2008年は室戸岬から高知をロードスターで回ったが 今回の車はジムニーである
大鳴門橋
本州四国連絡橋の1つで昭和60年(1985)6月に開通した 神戸淡路鳴門自動車道として供用され近畿四国の
交通の要衝となっている 橋長:1629m 中央径間:876m 幅員:25m 主塔高:144.3m
鳴門海峡の渦潮に影響を及ぼさないよう多柱基礎工法が採用されている 橋は上下2層式となっており
上部は道路に下部は単線による新幹線規格の鉄道を通すことが出来る構造となっている
ただ 明石海峡大橋が道路専用の橋で架橋されたので淡路島より本州方面への鉄道整備に関しては
現在未計画のままである この架橋によって淡路−鳴門間の鳴門フェリーおよび淡路フェリーが廃止され
自動車専用の大鳴門橋以外に渡航ルートがなく 徒歩や自転車・原付バイクなどで淡路島−四国間を
行き来することができなくなった また 橋を利用する歩道や自転車道を設置する計画もない
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道の駅「うずしお」から大鳴門橋を見る
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PM 1:50 「道の駅うずしお」から淡路島南ICへ大鳴門橋・小鳴門橋を渡り鳴門市ドイツ館へ
鳴門市ドイツ人捕虜収容所跡
第一次世界大戦中のドイツ人捕虜収容所(板東俘虜収容所)跡地 2006年公開の映画『バルトの楽園』の舞台
収容所所長・松江豊寿が中心となって 国際的にも先進的な人道的政策を行い ドイツ兵捕虜の人権尊重と
自主的な運営を許可した 日本人との交流も活発に行われ バターやチーズの製法・製パンなどのほか
ドイツ文化を紹介する 博覧会なども開催され 高水準のドイツ文化が多く日本に伝えられた
地元民を招き 国内で初めてベートーベンの交響曲第九番がドイツ人達によって演奏されたことは有名である
建築物では 近くの大麻比古神社に 帰国を前に記念として彼らの手により作られた
地元産出の和泉砂岩を使った石造アーチ橋(ドイツ橋)や 庭園風の池と池に架かる眼鏡橋も残る
この地は、第一次世界大戦に参加した953人のドイツ兵士が、大正6年から9年まで過ごしたところである。
いまもなお、青々と生い茂っているセンダンの大木や、兵舎の基礎に使われていた煉瓦積みが、
そのまま残っている。広場の中央にある石積みの橋は、当時、ドイツ兵士が造ったドイツ橋を模したものである。
丘の上には、日本各地で死亡した85名のドイツ兵士の合同慰霊碑が建立されている。
ここが、市民の憩いの場となり、あわせて日独友好の広場となるよう願っている。
昭和53年4月1日 鳴門市長 谷 光次
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新しいドイツ橋
当時の給水施設
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心願の鏡池
第一次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が、
大正六年から九年にかけて、異郷の地板東俘虜収容所に過ごした。ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら
一日も早く故国に帰れることを願いつつ、当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、
小谷にドイツ橋を架けた。板東の地で日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を超えた暖かい友情で結ばれ
今も尚、日独友好の灯をともし続けている。以来七十有余年を経て、この度当神社では神池を私張し、
メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
平成四年三月吉日 阿波国一宮 大麻比古神社社務所
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ドイツ兵が造った池と眼鏡橋
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PM 3:00 ドイツ橋
志度街道
阿波から讃岐に至る道は 志度街道と呼ばれ 高松に至る讃岐街道のひとつである
徳島より撫養街道を通り阿波大寺(板野町大寺)で分岐し大坂峠を越え 志度を経由して高松に至る街道である
途中の宿場は大寺・引田・白鳥・三本松・津田・志度・牟礼となる
標高278mの大坂越は古くは律令時代の南海道であり 阿波を出て初めての「駅」が引田・坂元に設けられた
引田(ひけた)の町並み
引田湊は平安の昔より 城山によって風が遮られるため「風待ちの湊」として拓かれた 室町時代には城が築かれ
馬宿川右岸の砂州に城下町が出来て商都として発展した 引田の産業として発展した醤油醸造は
安土桃山時代に始まり 江戸時代後期になって廻船問屋や豪商も現れるほど隆盛した
現在は 醤油醸造で栄えていた時代の古い町並みとともに
世界で初めてハマチの養殖に成功した地としても知られている
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ベンガラとなまこ壁の「かめびし屋」 宝暦3年(1753)創業の醤油醸造業
讃州井筒屋敷 元禄5年(1692)創業の醤油醸造業
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讃州井筒屋敷前 魚の棚通り
旧引田郵便局
昭和7年に 元・日下家の屋敷跡に新築された建物で 昭和53年まで引田郵便局として営業していた
建物は 木筋コンクリート造り平屋建の洋風建築で 正面入口左側に局長室 右側に電話ボックス及び私書箱
奥に電話交換室 裏に局員宿舎を設けている 上部に八角型の窓 下部には上げ下げ式の窓
高い天井 入念な装飾に大正時代を彷彿させる昭和初期の様式美が見られる
設計及び施工は 東京の松末組によるものであり 正面「引田郵便局」の字は当地の書家田中白村の書である
建物北側には 江戸時代の日下家屋敷を示す土塀(石積)が残されている
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日下家屋敷跡を現す 江戸時代の土塀 <右>道標 左こんぴらみち/右へんろみち
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道標のある本町通りと寺町通りの辻 街道は南(左側)から西(左側の道)へ曲がる
道標は 交差点拡張のため移設されている 遍路道は札所を順番に回れば金毘羅方向とは逆になる
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寺町 積善坊
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志度街道 西向き
引田和三盆の工芸菓子 PM 3:50

津田(つた)宿
津田川の河口に拓けた町で 古墳時代から人々が居住し 平安時代に東の鶴羽に荘園が拓かれた
室町時代には背後の雨滝山に城が築かれ城下町として発展するが 秀吉の時代に廃城となった
江戸時代には商業の発展とともに廻船業が勃興したが 明治以降は鉄道の発達で衰退した
一時期遠洋漁業の基地として賑わったが 今は衰退して沿岸漁業港となっている
旧来 遍路道からも外れており人の往来も少なく 地場産業の発展もなかった
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津田の松原
津田八幡宮社領域に神社の防風と燃料確保のため植えられた松原 中には樹齢600年超の樹もある
松原を境に 北側「津田村」 南側「鶴羽(つるわ)村」に分かれる
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志度街道の道標「志度・八栗・高松へ通行道 左側」と明治42年11月架橋の光西寺・慈雲橋 PM 4:30
今日の宿は金刀比羅宮参道にある「ホテルニューわたや」 距離約60km程度あり
到着が少し遅くなったが「参道のうどん屋はまだ開いているはず」との期待は見事外れてしまった
琴平の飲食店は午後4時から5時までには閉まり 食事可能な店を探すがこれが見当たらない!
素泊まりにして「うどんを食らう」ことを楽しもうとしていたことが 裏目に出てしまった
漸く見つけたのは「ほっかほっか亭」の明かりであった
12月22日 金比羅宮参拝
一般に「こんぴらさん」と呼ばれ 明治以前は象頭山金毘羅大権現と言われる真言宗象頭山松尾寺金光院で
神仏習合の寺院であったが 明治の神仏分離・廃仏毀釈によって金刀比羅神社となった
全国の琴平・金比羅神社の総本宮である
一説に「こんぴら」の語源がインド語の「クンビーラ」であり ガンジス河のワニを指すと言われる
ヒンドゥー教の神・ガンガーは ガンジス川の女神で インドでは川も「ガンガー」と呼ぶ
「母なるガンガー」として強く信仰され その乗り物(ヴァーハナ)がワニのクンビーラなのである
クンビーラが仏教に取り入れられ宮比羅大将となった 宮比羅(くびら)は 水運の神・天竺霊鷲山の鬼神で
薬師如来十二神将の筆頭でもある 梵語ではクンビーラ<Kumbhīra>といい 本地仏は弥勒菩薩とされた
インドでは王城の守護神とされ 中国では蛟竜・航海の神で水神とされるところから火難避けの神でもある
明治以降は 主祭神を大物主神(おおものぬしのかみ)とし 相殿に讃岐国に流されたまま崩御した
崇徳天皇が合祀され クンビーラの姿はかき消されてしまったが 今でも金毘羅大権現として信仰を集める
明治以降も変わらず海上交通の守り神として信仰されるのは 宮比羅から変えた祭神が
大物主命であり「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来している 
参道の石段は本宮まで785段 さらに奥社の巌魂(いずたま)神社まで登ると合計1368段となる
古くから海上交通の守り神として信仰されており 現在も漁師や船員など海事関係者の崇敬を集めている
江戸中期には全国的に伊勢詣りに劣らぬ庶民信仰が広がり 金毘羅講が組織され金毘羅参りが盛んに行われる
江戸末期には「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡
象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば・・・・」の歌が流行する
社紋の「金」文字は古い時代の隷書体である
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AM 8:00 長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある
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石段113段目に一之坂鳥居と重要有形民俗文化財の備前焼の狛犬があり ここから境内になる
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参道最上部の店から見下ろす
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こんぴら狗の銅像と奉納された船舶スクリュー
こんぴら狗
江戸の昔「こんぴら参り」の袋を首に飼い主にかわって犬がこんぴらへ 首に巻いた袋に初穂料と
道中の食費を入れて飼い主が旅の人に託した犬 無事代参をすませると ふたたび旅をして家族のもとへ
いつの頃からか こんぴら参りのこの犬を「こんびら狗」と呼ぶようになりました
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642段目の賢木門(さかきもん)
652段目の連籬橋(れんりばし)
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785段目 本宮拝殿 AM 8:40
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本殿前から北側に 標高421.7mの讃岐富士・飯野山を遠望
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奥宮への石段 参拝客はいない 雨が降り出した 奥宮には9時過ぎに到着 早々に引き返す
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桜ノ馬場
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上りで閉まっていた店も漸く開店 AM 9:40
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寛延四未(ひつじ)九月吉日の刻文字のある石橋(西暦:1751年)
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金毘羅高灯籠
高灯籠は安政元年(1854)の発願から6年の歳月をかけ 万延元年(1860)に完成した
高さ約27mで 丸亀沖の船に光が届くよう築かれた
内部は三階建て木造灯籠としては日本1高い 昭和54年(1979)国の重要有形民俗文化財に指定された
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讃岐うどんの店が並ぶ門前町
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