2026.03.05 奈良県奈良市月ヶ瀬尾山 月ヶ瀬梅林
かつての添上郡月ヶ瀬村尾山とその周辺に点在する梅林の総称である 古くから名勝に掲げられる梅林で
五月川(名張川の奈良県側名称)の深い渓谷沿いに梅の木が広がることから 月ヶ瀬梅渓とも呼ばれ親しまれた
大正11年(1922)には 金沢の兼六園や奈良公園とともに 日本最初の名勝地に指定されたが
昭和44年(1969)の高山ダム竣工によって 梅渓と呼ばれた渓谷と多くの梅林がダム湖に沈んでしまった
現在の月ヶ瀬梅林は ダム湖の月ヶ瀬湖を見下ろす標高200〜300mの高原に展開している
起源は古く 鎌倉期の元久2年(1205)に真福寺境内に天神社を建立する際に梅を植樹したとの口伝が残され
真偽の程は定かではないが「桃仙の梅」が樹齢600年と推定されることから 梅林の起源は
少なくとも600年程度は遡るのではないかとされている
月ヶ瀬村史によれば 元弘元年(1331)年に勃発した争乱で 大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する際
側女姫若(園生姫)が熟れた梅の実を見て村人に 京で使用される紅花染の媒染発色剤として使われる
烏梅(うばい)の製法を教えた 100年後の15世紀頃には五月川流域一帯は梅林で埋め尽くされたという伝承が残る
深い渓谷にあった月ヶ瀬村には 水田として利用できる平地が乏しく年貢米を納める余裕がなかった
そのため烏梅を生産換金し金銭による石代納を計り 限られた耕作地で自給食料を生産する生活をおくった
19世紀初めの文化−文政年間に最盛期を迎え 月ヶ瀬梅林には10万本近くの梅の木が栽培されていたとされる
明治に入り合成染料の普及により烏梅の価格が暴落し梅林は荒廃したが 風光明媚な景勝を求めて観光客が増加
月瀬保勝会が発足して梅林の復興を図り月瀬梅林の名勝指定を得た しかし昭和に入り戦時体制下において
食糧増産のため半ば強制的に伐採され梅林は耕作地となり 月ヶ瀬2万本といわれた梅の木は半分以下まで減少した
戦後の昭和28年(1953)建設省より木津川総合開発計画が提起され 県や村・マスコミも含めた反対運動が
起きたが 奈良県から大阪府を含む下流域の利益が大義となって計画が実行された
ダム竣工後も梅林の育成と拡充が続けられ 月ヶ瀬梅渓が消えた今でも「名勝・月ヶ瀬梅林」として名高い
6.梅林公園 7.天神梅林 8.月ケ瀬橋 9.梅見展望台
月ヶ瀬漬は 月ヶ瀬産の白加賀梅を1ヶ月間砂糖に漬込み 再び赤紫蘇で一粒毎包んでさらに4〜5ヶ月かけて
熟成させる伝統的な梅の加工品である 明治頃から始まり 甘酸っぱい味の甘露梅として 御茶請や酒の肴
または料理の色彩りとして添えるなどして親しまれている
石碑は大正10年(1921)3月に建てられた
伊賀藩主の藤堂高虎が「肝っ玉を養う」陣中食として用いたとされ 伊賀忍者の携帯食ともいわれている
梅の花見はここまで 午後は 橿原市今井町と富田林市寺内町の町並みを散策して 九州へ陸路で帰る







