2019.05.07 山口県防府市牟礼門前 大平山々頂公園のツツジ

大平山々頂公園は 防府市の最高峰・標高631.1mの大平山々頂にある市営公園である
古くから防府市屈指のビューポイントとして親しまれ 格好のレクリエーションの場として登山者も多く
かつては山頂には展望台も建設され 麓からはロープウェイも通じていた
しかし 昭和34年(1959)の開業から平成26年(2014)までの運行期間全てで赤字運営が続いた上
設備の老朽化により平成27年(2015)に廃止された その後山頂の展望台も老巧化のため撤去された
現在は 平成16年(2004)に全面リニューアルされた展望広場・芝生広場・遊具広場・多目的広場を備えた
多目的公園に生まれ変わり かつてのロープウェイ山頂駅に2台のゴンドラが展示されている
この山麓と山頂を結んでいたロープウェイは NHK防府総合テレビ送信所開設のために建設されたもので
山頂にはNHKの送信塔の他 KRY山口放送・tysテレビ山口・yab山口朝日放送などの送信塔が建っている
山頂には ヒラドツツジをはじめとする約10万株のツツジが植えられており
毎年5月には「大平山つつじまつり」が開催されツツジの名所としても名を馳せる
山頂からは 防府平野や瀬戸内海の島々を望み
天候によっては国東半島や別府・久住・阿蘇の山々をも見渡すこともできる絶景のロケーションとなっている
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国土地理院 色別標高図
▲大平山山頂 1.防府天満宮 2.周防国分寺 3.周防国衙跡(すおうこくがあと)
2019.05.07 大平山々頂のツツジと国分寺・周防国衙跡
大平山のつつじ開花状況は 防府市観光情報ポータル公式サイト「たびたびほうふ」でチェック出来るのだが
開花状況を表す画像は一切掲載されず更新頻度も少ないうえ
開花状況も まだ・三分咲き・見頃と素っ気ないものである 三分咲きから五分咲きを飛ばして
見頃と書かれた翌日に 混雑を想定して自宅を早朝の午前4時に出発 午前9時前には到着したが
予想外にも駐車場に一番乗りで肩透かしを食った 見頃とはいえ「まだ五分咲き」といった感じで
つつじ祭りはまだ開催期間にも入らず 見物客は極めて少ない
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防府市街地遠望
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展望台跡の展望広場 遊具広場 多目的広場 芝生広場
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展望広場と三田尻中関港・防府市街
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江泊山(259.8m) 三田尻中関港 錦山(354.1m)右遠方に浮かぶ島は佐波島
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大平山山頂標識
一等三角点標柱

山頂から防府市街地全景のほか  姫島 国東半島の山 八面山 由布岳 鶴見岳などが見渡せる
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つつじの花文字もまだまだ咲き揃わず
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姫島と国東の山々 右端に鶴見岳と由布岳の双耳峰
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周防灘の島々
左最奥が伊予諸島の長島と祝島 手前へ順に笠戸島・大島と粭島(すくもじま)
馬島と陸続きの大津島 右は沖島・平島・野島の三連島
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藤が満開
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yab山口朝日放送・tysテレビ山口・NHK-FM放送・NHKテレビ放送・KRY山口放送など
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芝生広場花壇のラベンダー
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早々と 午前10時15分に山を下り周防国分寺に行く
山口県防府市国分寺町 周防国分寺
周防国分寺は、多数の文化財を保存した極めて歴史的価値の高い古刹である。
北に多々良山を負い、南には防府市街をとおして三田尻湾を望む景勝の地にそびえ立つ大伽羅は、
創建当初の地にあり、国分寺の堂塔の偉容をあらわしている。
当時は、金光明四天王護国之寺又は金光明寺など、いろいろな寺号があったが、
後に浄瑠璃山国分寺と称せられるようになった。奈良時代の天平13年(741)聖武天皇の勅願によって、
国家の鎮護と国民の景福を祈願するために国ごとに建立された由緒ある官寺のひとつである。
「本寺が創建された奈良時代は、わが国律令政治の栄えた時で、国分寺は宗教によって国家を統治する勅願所で、
皇室との因縁が特別に深く、住昔の規模が壮大であったことは、その寺域の面積が61町歩余りにまたがり、
七堂伽羅と25ヶ寺の塔頭と末寺を擁していたことでもうかがえる。
「後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革等により、その規模は縮小され、現在では往時の遺構遺跡と
建造物の一部を残すのみになったが、今なお仁王門をくぐると荘重な大金堂がある。
ここには多数の国宝的仏像が安置されており、他の歴史的文化財と共に宗教上、学術上の一大宝庫をなしており、
旧態を現存することにおいては、全国国分寺中極めて稀である。
本尊は創建当初丈六の釈迦如来であったが、奈良時代の終わり頃から平安初期には薬師如来に替わっている。
寺格は現在高野山真言宗に属する別格本山である。
本寺がこうして旧格を維持し、歴史の各時代にまたがる豊富な霊仏至宝を保存してきたことは、
実に聖武天皇の聖徳と歴代天皇の信仰の賜であり、
また周防国府の力や大内氏、毛利氏の歴代国主の崇仏保護が非常に厚かったからである。
多数ある寺宝の中で後奈良天皇宸筆般若心経及び金堂、並びに堂内の薬師如来、日光・月光菩薩立像、
四天王立像及び持仏堂内の阿弥陀如来坐像など、八躯が国の重要文化財に指定され、
国分寺旧境内は史跡に指定されている。
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文禄5年(1596)に毛利輝元が再建した仁王門 室町時代の仁王像を安置
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漆喰塀にある五本線は皇室勅願寺であることを表す
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国の重要文化財 金堂
安永8年(1779)毛利重就によって再建 堂内には 重要文化財の本尊薬師如来ほか50余体の仏像を安置する
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金堂横の大欅
山口県防府市国衙 周防国衙跡(すおうこくがあと)
「国庁」の碑と国庁寺
「国ごとに庁あり。今や寥寥(りょうりょう)として聞ゆる無し。而(しこう)して比庁独り存る」などと
銘文に刻まれている『国庁の碑』は、安永7年(1860)国庁寺の候人
上司主税平重寛、武嶋完次平重勝が建立したものである。
文治2年(1186)周防国は、源平争乱の時に焼失した東大寺の再興料国となり、大勧進俊乗坊重源上人が
周防の国務管理に命ぜられこの大事業を完成している。
その後、周防国は山城国法勝寺、京都感神院の料所に一時寄進されているが、
寛喜3年(1231)再び東大寺の料国となり、東大寺の大勧進が代々周防国を管理していた。
しかし、大内氏の勢力が伸びるにしたがって公領も蚕食されて減少し、毛利隆元の時は八町四方に減少され、
秀就の時はそれもまた東大寺の手を離れ蔵米を支給されることとなった。
また毛利氏の代には、国衙(庁)は国の役所の意味が失われて地名になると共に、庁舎は東大寺の一支院化し、
国庁寺の名をもって呼ばれるようになった。『国庁』の碑を建立した上司主税平重寛、武嶋完次平重勝は、
この国庁寺に仕えていた人である。なおこの国庁寺は、明治4年(1871)解体され、本尊釈迦如来坐像、
惣門(瓦葺・高麗門)などは重源上人が建立した東大寺別院の花宮山阿弥陀寺に移されている。
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国土地理院空中写真
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周防国衙跡から大平山
周防国衙跡大パノラマ
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周防国衙跡 午後0時10分前 まだ早いが帰途につく
山口県山口市深溝唐樋 藤尾山公園展望台
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周防大橋
椹野川に架かる全長1080mの鋼橋 竣工は平成4年(1992)3月21日
鋼床版単純桁橋の中央部に長さ180mの3径間連続鋼斜張橋があり 建設当時は中央部の斜張橋のみを
周防大橋としていたが 完成後は全体を周防大橋と呼ぶようになった この橋の開通により
交通の輻輳する小郡地区を回避する阿知須と秋穂を結ぶ短絡ルートとして利用されている
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山口きらら博記念公園ときららドーム 背後に中津市の八面山が見える
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