竜田越奈良街道

koriyama
大和郡山城下
竜田越は大阪から奈良に至る「奈良街道」の一つであり 暗峠越と共に古道である 飛鳥時代(593〜694)に
難波津四天王寺と斑鳩の里法隆寺を結ぶ街道として整備され 沿道には大聖勝軍寺をはじめいずれも聖徳太子に
ゆかりのある地域と関わりが深い 聖徳太子自身もこの街道を往復していたといわれている
その名は竜田山(古くは生駒山地の最南端信貴山の南に連なる大和川北岸の山々の総称を指す)を越えることから
「竜田越」とよばれるようになった 大阪府内では「渋川道」とも呼ばれる 奈良時代には難波京と平城京を結ぶ
街道として整備され利用された 最短ルートの暗越奈良街道においては 特に大阪側が切り立った山に阻まれた
急峻な山越えとなるため距離が長いながらも 比較的坂の緩い穏やかな平坦路として重宝された
斑鳩より東へ一直線に上ッ道まで延びる道を 北の横大路といい 現在の大和郡山市横田付近で「下ッ道(現在の
中ツ道=国道24号)」に合流した 下ッ道は平城京朱雀大路 中ッ道は東四坊大路
上ッ道は東七坊大路(興福寺東大寺)へとそれぞれ繋がる
かつて江戸期の大和川付け替え(1704)以前は 途中の「河内国府」(現藤井寺市国府)付近で石川を越え
大和川左岸の国分村を経由し さらに夏目茶屋付近で大和川を渡し船で右岸へと越えていた 大和川付け替え後は
必然的に 河内国府を通らない大和川右岸ルートの亀の瀬峠越えとなった 明治に入ると国分村の北に国豊橋
奈良県側の三郷町に明治橋が架けられ 亀ノ瀬対岸の大和川左岸南岸壁を開削して新たなルートが開設された
比較的平坦だったため現在に至るまでメインルートとなっており 現在は国道25号に指定されている
柏原から三郷にかけては 北側の山道越え(信貴山越参詣道と一部重なり=柏原市では古道としている)
大和川の右岸に沿う亀の瀬越、左岸側を沿う現在の国道25号ルートなど 時代と共に複数のルートに分かれた
「亀の瀬」は本街道としては現在に至るまで難所として知られ 明治時代に関西鉄道が亀の瀬隧道を貫通させたが
その後買収された官営鉄道時代に地滑りのため崩壊し放棄された歴史がある
その他大坂から奈良へ向う峠越道は 尊延寺越 榜示越 磐船越 清滝越
中垣内越(竜間越古堤街道)河内中垣内村〜俵口村 善根寺越河内善根寺村〜俵口村
日下越河内日下村〜俵口村 鷲尾越(辻子越)河内芝村〜山崎村 椋嶺越峠茶屋〜藤尾村
鳴川越六万寺村〜鳴川村 十三越河内神立村〜大道村 大道(おおと)越河内大窪村〜大道村
立石越河内服部川村〜久安寺村 信貴越(越智越・黒谷越)河内教興寺村〜南畑村など多くの間道が存在する