弁慶地蔵

泡子地蔵ともよばれ、凝灰岩質の板石に地蔵坐像を刻したもので、
「天文二十二年(1535 )乙未八月廿六日」の銘文がある。
もと佐土との境にある川の辺りに埋まっていたのを、今の場所に移したもので、
かつては子宝地蔵として参拝者で賑わったという。
弁慶の母は、福居村(別所)の生まれで山廼井といい、父は熊野神社別当であるという。
書写山に預けられた弁慶が、京からの帰途、福居村庄屋の娘玉苗と
一夜を共にしたのが、この地蔵堂であると伝えられている。
平成11年10月 姫路市教育委員会