西国街道(山陽道) 兵庫宿−境川

兵庫宿を出ると 街道はほぼ西方に一直線で長田に至る 長田で西南方向に向かい長田神社の鳥居を過ぎると
須磨寺参道分岐まで標高10m前後の高台を直線的に辿る 現在この区間は 道幅の広い新道となっているが
旧街道は若干蛇行しながら続いていたのであろう 須磨と塩屋の間は旧来の難所で北から鉢伏山が迫り
明石海峡との狭間には今も 山陽電車・JR山陽本線そして国道がひしめき合って通る
この急傾斜地に東から一ノ谷・二ノ谷・三ノ谷と三つの谷が続き 摂津・播磨の国境である境川へと至る
西暦646年・大化の改新の詔(みことのり)に畿内西限として「赤石の櫛淵」の名がある
海岸線が櫛目のようになった荒磯を思わせるのがこの辺りである 故に古山陽道はこの難所を迂回し
月見山から鉄拐山の北にある多井畑を経て下畑から塩屋へと下るルートを採った
平安時代後期から鎌倉時代にかけ鉢伏南麓に砂浜が形成されて 今在る西国街道が通じた物と思われる
参考:市民のグラフ こうべ No.42 1975年10月号
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国土地理院 大正12年(1923)の測図
@兵庫宿札場の辻 A国鉄兵庫駅:兵庫駅の開業は明治21年(1888)11月で西国街道の交差地点に開設された
B長田宮一ノ鳥居 C蓮の池 D阪神電車西代駅 E妙法寺川 F国鉄鷹取工場
Dの阪神電車西代駅から西は蛇行する古い街道の姿を残している

2016.01.08  柳原えびす神社から須磨まで歩く
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塚本通五丁目附近 街道はこの辺りから西へ
西市民病院前歩道橋から兵庫駅方向撮影
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西市民病院前歩道橋から須磨方向撮影
新参道の長田神社道標 大正9年頃設置
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早稲田大学図書館 兵庫津之図 文久2年(1862)の幕末期の絵図面
@長田社 A長田村 B池田村 C蓮池 D西代村 E一里塚 F板宿村 G禅昌寺 H大手村 I長洲御陣屋
J聖霊権現(現・證誠神社)K東スマ村 L西スマ村 Mスマ寺 N濱スマ村 Oツナシキ天神
河川名称は 東から「カルモ川」「妙法寺川」「天井川」と書かれ 天井川とは東細沢谷川のことであろう
長洲藩の御陣屋
安政5年(1858)6月 長州藩は幕府から天領である兵庫の警備を命じられ 武庫川西部から須磨まで
三千人の兵力が動員され 摂津菟原郡打出村と八部郡東須磨村に陣屋を建てた
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長田神社 神門
長田神社の本参道 八雲橋と松並木・常夜灯
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西国街道の長田神社参道口
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西国街道の狛犬 大震災で破損
長田区御船通4丁目 震災復興住宅
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西代通2丁目 「西代村東外れに一里塚あり」
須磨区寺田町2丁目の地蔵
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太田町交差点 西南角の旧西国街道標柱
高速3号線ガード下の須磨橋
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山陽電車月見山駅南の月見山本町2丁目にある多井畑厄除け八幡神社の道標
「右 多井畑村迄距離三十三丁(3.6km)」と刻まれたこの道標は 新しく明治14年(1881)頃建てられたものである
古山陽道の道筋でもある多井畑厄除八幡宮への参道は 江戸時代になると浜辺を通る西国街道の繁栄をよそに
山道は廃れていった 「古は兵庫より夢野を経て山中に入り、此田井畑を歴て播州へ出づる。これを古道越といふ」と
『摂津名所図会』は記している 明治になって交通が活気を帯び始め 寂れた峠道は永い眠りから覚めた
『武庫郡志』には「多井畑街道、東須磨字西の口より多井畑に至る延長三十三丁余の道路なり。之多井畑地民が
独力三千三百円の巨費を投じ、明治十四年十一月十一日より、同十六年十二月に渉りて」旧道の少し北に
新道を建設した この新道起点の碑がこの道標である 昭和40年代の宅地開発とモータリーゼーションは
この道を大規模に変身させ 多井畑峠にあったトンネルも削り取られてしまった
参考:市民のグラフ こうべ No.42 1975年10月号
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元宮長田神社前の旧西国街道標柱
須磨寺参道との十字路

<寄り道>
須磨寺参道の智慧の道を南下して綱敷天満宮と須磨海浜公園へ
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参道を浜辺まで下り綱敷天満宮
天満宮拝殿
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須磨海浜公園の旧和田岬灯台(登録有形文化財・近代遺産)
慶応3年(1867)4月 幕府は英国との間で結んだ大坂条約の中で5基の洋式灯台の建設を約束した
和田岬灯台はこの中の一つで兵庫の開港を前に設置されたものである
初代の灯台は明治4年に完成したが平面八角型の木製灯台であった 明治17年(1884)に鉄製灯台に改築され
昭和38年(1963)まで点灯を続けた 英国人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計され
高さ15.76mの三階建てで平面は六角形の形をしている この灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で
平成10年(1998)に国の登録有形文化財に登録された 地元の人々には「赤灯台」の愛称で親しまれている
今回はここまで JR須磨海浜公園駅から帰る

2016.12.06 前回の終了地点からJR塩屋駅まで歩く
垂水のパークマリン神戸に駐車 一円以上の買い物で終日無料なので昼食を食べ JR垂水駅から須磨まで
電車で移動し 須磨からJR塩屋駅まで歩く
<寄り道> 須磨寺
正式名称は 上野山(じょうやさん)真言宗須磨寺派大本山 福祥寺 本尊は聖観音菩薩である
開基は 平安時代初頭まで遡り 漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を
仁和2年(886)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりとされている
境内の建造物等は時代が古いものと思われるが 定かではないため建物の文化財は少ない
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須磨霊泉
須磨霊泉石碑
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須磨寺参道の碑
仁王門 平安時代の源 頼政の再建と伝わる
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須磨寺本堂 慶長7年(1602)豊臣秀頼が再建
須磨寺境内参道
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名所記書図板本 名産根本 藻汐磯馴味噌 須磨浦 升屋九兵衛 『摂州須磨浦 一の谷◯ 真景細見』
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再び県道21号線に合流する手前
街道は山陽電鉄に沿って 但し痕跡は無し
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移設の道標 「長田宮」「川東左右関屋跡」
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関守稲荷神社鳥居
関守稲荷神社祠
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関守稲荷神社から下り山陽電鉄のガードを潜ると
村上帝社がある
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国道2号線 一の谷バス停
一の谷川
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長田神社須磨御旅所
源平合戦・戦の濱石碑 昭和13年建立
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二の谷
須磨浦公園遊歩道
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三の谷はロープウェイ下
ロープウェイ山上駅のある鉢伏山
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須磨浦公園展望所パーキングから 須磨海づり公園 手前の「ガスト」左に「敦盛塚五輪塔」
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神戸市立図書館蔵 摂津国矢田郡一ノ谷(図)
中国行程記によれば この間
「一ノ谷、川広十間水無シ → 古城山 二ノ谷、川広八間水無シ → 一里山→ 三ノ谷、川広二十間水無シ → 
敦盛石塔 → 川広十五間水無シ → 川広三間水無シ → 
従是東天領 摂津国矢田部郡西須磨村 国境村境 播磨国明石郡塩屋村 従是松平但馬守領」
の順で書かれ
国塚「此棒杭ハ丸木ニテ河原中二立、無名也」川広三十間水無シとある
これによれば 二ノ谷と三ノ谷の間に一里塚があり「此一里ハ通リ懸リニハ不見、土山損シ知レカタキ也」と
記されており 崩れ落ちていたようである また 敦盛塚を過ぎて二ヶ所の水無川を通過し境川に至る
境川の中央に丸太杭を立てた国境の碑があるとも書かれている 
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敦盛蕎麦 江戸時代からある敦盛茶屋
敦盛塚
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「敦盛蕎麦」の石柱「西 摂津播磨国境 境川」
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敦盛塚から一つ目の谷川 山陽電鉄橋梁
二つ目の谷川 山陽電鉄石造アーチ橋
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摂津・播磨の国境の境川 (山陽電鉄境川橋梁) 現在は東側が神戸市須磨区 西側が神戸市垂水区となっている
神戸市垂水区・西区及び明石市の大部分は廃藩置県前は明石郡として播磨明石藩の領地であった
明治4年(1871)の廃藩置県により 明石県・姫路県・飾磨郡と同年内に三度も目まぐるしく変わった
同年には 兵庫県に尼崎県と三田県が統合され新しい兵庫県が発足している
明治9年(1876)に飾磨郡が兵庫県の管轄に入り 但馬国全域と丹波国の氷上・多紀の両郡及び
淡路島全域を含む現在の兵庫県が発足した
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