萩往還

長門国・萩城下と周防国・中関の三田尻村に置かれた御船蔵とをほぼ直線に結ぶ 全長約53kmの街道である
秀吉の天下統一によって毛利輝元は 安芸・周防・長門・備中半国・備後・伯耆半国・出雲・隠岐・石見を拝領
天正17年(1589)広島城の築城を開始 天正19年(1591)安芸吉田の郡山城から移った 慶長12年(1607)
関ヶ原合戦の責任を問われ 領土を25%程度の周防・長門2国に厳封され 居城も広島から萩へ転封となった
萩城の地の利は悪く 瀬戸内・中関との間に慶長9年(1604)江戸時代以前から領民が使う杣道等を 道幅二間の
幹線道として整備した 城下町萩の唐樋の高札場を起点とし 明木・佐々並・山口・を通り防府の宮市宿の今市で
西国街道と合流し 防府天満宮鳥居前より南下して三田尻村に至る 主要街道である西国街道とを結ぶ参勤交代道
としても使われると同時に 萩城下と瀬戸内の商港である中関湊とを結ぶ物資流通の要でもある
石畳・立場・一里塚・往還松などが設けられたが 明治以降は 現在の国道262号線・県道62号線のルートで
拡張整備されたため消失または廃道となった 今も明木−佐々並間の一升谷をはじめとして当時の萩往還の遺構が
一部残存し 昭和52年より復元及び整備が進み 萩市から防府市に至る古道と関連する遺跡が平成元年(1989)に
「萩往還」の名称で国の史跡に指定された 平成8年(1996)に文化庁選定の歴史の道百選に選ばれている
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全行程図