2010.03.12  福岡市博多区御供所町(ゴクショマチ)  聖福寺通津橋(ツヅバシ)

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聖福寺(ショウフクジ)の歴史 掲示板抜粋
聖福寺は山号を安国山(通称安山) 寺号を聖福至仁禅寺といいます 建久6年(1195)に
源頼朝公より この地を賜り 頼朝公を開基として創建された 日本で最初の禅寺です
栄西禅師は この寺を建てるまでに二度 宋に渡り 二度目に渡宋した折に 中国の虚庵禅師より印可を得
臨済宗黄龍派の法を継承して建久2年(1192)に帰朝しました
また栄西禅師は宋より「茶」を持ち帰り 当寺境内や背振山などに植えて 各地に広めました
同時に宋風の喫茶も伝え 『喫茶養生記』を著して茶文化の先導的な役割を果たしています
後に「茶祖」と呼ばれる所以です
   聖福寺の境内地は、創建当初、鎌倉幕府源頼朝公より方八町を戴き 七堂伽藍を建立して
丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三尊を安置していたと伝えられています
かつて境内地の一部は寺中町を形成していたと言われ 『安山借屋牒』(1543)によれば
当時312人の借屋人がいたと記載されています
今に残る普賢堂・中小路・魚町・店屋・蓮池・西門などの博多の地名は当時の寺中町からのものです
天正15年(1587)の太閤町割により寺域も方四町に狭められ ほぽ現在の伽藍の配置になり
山門・仏殿・方丈・庫裡・禅堂などの禅宗様式の七堂伽藍が立ち
周りに勅使門・開山堂・護聖院・経蔵や塔頭が立ち並んでいます
昭和44年(1969)に境内一帯が国の史跡に指定されています
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無染池と橋 「境内での飲食を禁ず」とあるが 弁当片手に人々がやってくる 「都会のオアシス」でもある
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橋に刻まれる 博多高砂連は 明治26年(1893)3月 博多の有力者が発起人となり設立された組織である
創立当時の会員数は699名を数え 親睦のみならず 社会奉仕活動をも行う
聖福寺の境内に明治44年に建築された博多高砂会館を拠点とし 毎月定例会を開き
5月のどんたくでは伝統の姿を そのまま三福神稚児流と共に今に伝える
また8月21・22日の供養塔大施餓鬼も行う
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聖福寺境内の風景を掲げた古書「十境」に「通津橋」があり 聖福寺の北側にあった
蓮池に架かる橋であったといわれている その橋を境内に復元したものであろうか?
そもそも通津橋は 宋の時代に作られ 中国に現在も存在するアーチ橋である
栄西禅師が修行中の宋において見た石橋であったのかも知れないと 思うのは「ロマンチック」過ぎるか
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