アーチの発明は 遡ること紀元前4000年前頃 ペルシャ沿岸に栄えたメソポタミア文明と言われている
その頃すでにメソポタミアでは石造アーチ橋が架けられている アーチはその後の文明に引き継がれるものの
地上建造物に多用され漸く日の目を見るのは 紀元前6世紀から4世紀の古代ローマ人によるものである
同じ頃紀元前6世紀から5世紀頃には バビロンや古代中国で石造の桁橋が架けられている
紀元前2200年ごろには バビロンではユーフラテス川に長さ200mのレンガ橋が架けられた
ローマ時代には道路網の整備に伴い各地に石造アーチ橋が多く架けられ 架橋技術は大きく進歩した
その後7世紀〜10世紀にイスラム教モスク建築に採用され アーチの形状も多様化していく

日本での記録に残っている最古の人工橋は 『日本書紀』によると 仁徳天皇14年に現在の大阪市に
猪甘津橋(いかいつのはし)が架けられたのが最古とされている 日本的特徴として当時より江戸期に至るまで
多くの政権は 都市部の要所を例外とすれば 橋の築造には極めて消極的であった また多くは仮設的な舟橋や
木造橋に限られ 石造橋が本格的に架橋されるのは江戸末期からで 日本最古の石桁橋は当時の琉球国・沖縄である
これは日本の河川が急峻な地形により急流をともなうことと 暴雨が頻繁に発生するため 橋は流されることが
前提であったこと また国土が荒廃した戦国期以後は 徳川幕府の政策として交易流通を重要視せず 交通機関は
徒歩を基本とする政策に遠因があると思われる しかし江戸時代中期以降の商工業の発達により
街道整備にともなう架橋がなされる 一方 大陸文化の影響を受けた九州地方では 1643年(寛永20年)造営の
長崎眼鏡橋をはじめとする石造アーチ橋が多く作られた しかし近代の日本では石橋が いとも容易く
廃棄破壊されてしまう 世界的に見れば橋名が地名となることが多く 日本においても 大橋・石橋などの地名が
多く存在するが 元となる橋が残されていることはごく僅かである 世界を見渡すとき シンボルとなる古代石橋を
残そうとする力は大きい 戦禍に遭っても一つ一つ積み直す努力が続けられ蘇ることもある
そして 美しいその姿は世界遺産として数多く登録されているのである