完全なる自給自足は不可能である

よくテレビなどで自給自足の田舎暮らしを取り上げているが 電気・水道などを使わなくても
税金・社会保険税・介護保険税などは 物品での納入は不可能で 自給自足分以外に
余剰生産物を生み出し換金しなければならない 余剰生産物を作ることは自給自足の範ちゅうを超えることになる
余剰生産物を生み出すために 資材や動力エネルギーを購入することは 生産活動となり営農である
故に自給自足は不可能能で夢のような話であるが それに近い生活形態は可能である
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田舎においても現金収入の道がないとは言えない
田舎とはいえ人手は慢性的に不足している 仕事はある ただし賃金はびっくりするほど安い
切りつめ 年金と合わせてぎりぎりといった感じであろか 仕事があっても死ぬまでは働けない
この先年金の受給額も増えないとなると 条件は同じようなものだ
収入が少なければ支出を減らす これは当然である
このような事から 田舎暮らしが絶対出来ない人格も存在する 魚でいえば 鮫型の人である
鮫はエラがないので常に泳いでいなくては窒息する 鮫は眠る間も泳ぐ
人間でいえば「忙しい忙しい」と言いつつ 忙しいのが快感であるかのように寝る間も惜しんで行動する人
都会型で24時間頑張りますタイプの人である 鮫よりも鮟鱇型の人格が田舎向きである
鮟鱇は静かに呼吸しながら獲物を待つ 一人でいることが苦にならず
種を蒔いてひたすら収穫まで我慢して苦にならない人 晴耕雨読とはこういうことを指す
その他 ネオンが無いと私は生きていけないと言う人格者も多い

一人遊びが出来なければ田舎暮らしは退屈である 情報には惑わされない 何が流行ろうが
何処の何が美味かろうが全て関係はない 田舎に来てしばらくするとテレビを見なくなる
次にはラジオですら聴かなくなる 勿論新聞の勧誘も来なかったので新聞もない
しかしインターネットがあるので世界とは辛うじて繋がっている
インターネットであっても繋がなければ何日も何週間も世間の事は判らない これが不安だというかも知れないが
人類の歴史上で言えば チョット少し前まではみんなそうして生きてきた 極論だと言うかもしれないが
その事によって人間は感覚を研ぎ澄まし災いに備えたものだ 鈍った感覚が如何に危険かは
鋭い人は判るはず 如何に情報が溢れていようとも 感度が鈍ければキャッチは出来ない

自給自足”的”生活は大変かといえばそうでもない 少し器用なら畑仕事も自足分についてはどうにかなるらしい
「連れ合いの耕人」がそうである 形が歪であろうが少々虫が食っていようが食べる分には問題はないらしい
工人としても 道具や日常の細々としたものを作るのは楽しい 良い頭の体操にもなる
「貧しさは人材を育成する」とよく言われる これは学歴などという薄っぺらな事ではない
それは生きる力の育成だと 近頃私は思う