山口線から蒸気機関車による牽引が廃止されたのは 昭和48年(1973)10月1日のことである
その後北海道室蘭本線で 昭和50年(1975)12月14日に蒸気機関車による定期旅客列車の運転が終了
同年夕張線において 最後の蒸気機関車牽引貨物列車が運行されたのは 12月24日であった
翌年の昭和51年(1976)3月2日には北海道追分機関区所属の9600形が火を落とし
京都梅小路等に動態保存される蒸気機関車を除く全ての国鉄蒸気機関車が消滅し 完全無煙化となった
これは国が進めるエネルギー改革の一環でもあった また同じ年の3月10日には 山陽新幹線の
新大阪〜博多間が全線開通しており 新旧交代の象徴的な年でもあった
「SLやまぐち号」は 室蘭本線で最後の蒸気機関車による牽引旅客列車が走ってから 3年8ヶ月後の
昭和53年(1979)8月1日より運転を開始 山口線に於ける蒸気機関車の運行は5年ぶりのことであった
牽引する蒸気機関車は 京都梅小路運転所々属の「C57 1号機」が使用され現在に至っている
昭和55〜59年の4年間は C57の予備機として「C58 1号機」も投入されたが ボイラーの故障により
現在は 梅小路蒸気機関車館で お召し列車仕様で静態保存されている
昭和62年(1987)に「C56 160号機」が入線し 主に8月の夏休み期間は「C57・C56」で重連運転される
C57の故障や検査時等では「C56」の単独となるが 「C56」の牽引力では客車2両が限界となるため
DD51形ディーゼル機関車を補助機に従えた重連により運転されている
「C57・C56」ともに投入不可能な場合 DD51の単機牽引で「DLやまぐち号」として運転されることもある
既に35周年を迎える「SLやまぐち号」は その後 各地で実現された観光目的の蒸気機関車牽引による
動態保存定期列車の先駆けとなった 牽引される客車は現在以下の通りである
展望車風客車 オハフ13 701 旧番号オハフ13 59 1923年製のオイテ27000形を参考に展望デッキを増設
欧風客車 オハ12 701 旧番号オハ12 227 1880年代のオリエント急行を参考に改造
昭和風客車 オハ12 702 旧番号オハ12 230 昭和初期の鋼製客車を参考に改造
明治風客車 スハフ12 702 旧番号スハフ12 68 日本の鉄道開業当初のイギリス製客車を参考に改造
大正風客車 オハ12 703 旧番号オハ12 229 1924年製のナロ20850形を参考に改造
旧型展望客車 マイテ49 2 蒸気機関車重連運転に増結される
C56形蒸気機関車
軸配置:1C 全長:14325mm 全高:3900mm 機関車自重:34.27t 炭水車自重:12.90t
基本設計は 昭和7〜8年に37両製造されたC12形タンク機から水槽と炭庫及び従輪を廃し
小形の炭水車を牽引するよう改造設計された地方簡易線用の小形テンダ機で
機関車部分はC12と同形同寸である C56は昭和10〜昭和14年(1935〜1939)に160両製造され
昭和16年(1941)北海道・雄別炭礦鉄道(後の雄別鉄道・昭和59年完全廃止)が発注し
三菱重工業で1両製造された その後 昭和17年(1942)旧樺太庁鉄道に対し4両製造され
合計165両のC56形機関車が製造された 昭和19年(1944)103・152号機が樺太鉄道局に転出し海を渡った
しかし 敗戦後に旧ソビエト連邦国に接収された「C56形機関車」6両の消息は不明のままである
当時の地方簡易線には転車台の設置が少なく C56形の特徴として バック運転における視界確保のため
炭水車側面を大きく欠き取ったスタイルがあげられる しかしC12形とは違いキャブ下の従輪を無くした為
バック運転時における走行性能の著しい低下が 中高速バック運転時の脱線事故多発を誘引したとされた
そのため低速での入換を除けば バック運転はあまり行われなかったと伝わっているが
現在 唯一残された同形160号機による 四国管内での頻繁なバック運転では一度も支障無く
今では事故に対する過剰反応では無かったかと疑われている
当初の投入路線は 日高・米坂・小海・飯山・大糸・越後・七尾・三江北・木次・小松島・妻・志布志
宮之城・山野線などの地方国鉄線 及び 入換用機では北海道苗穂と横浜の機関区に所属した
大型蒸気機関車を「馬」に例えるなら 小形の愛らしい形態からC56形は「ポニー」の愛称で親しまれた
特に八ヶ岳山麓を走る小海線では「高原のポニー」と呼ばれ 鉄道ファンにより多くの写真が残されている
小型軽量かつ無補給運行距離の長さを軍部が注目し 半数以上の90両(1〜90号機)が軍供出機関車として
昭和16年(1941)にタイ・ビルマへ海を渡り 当時建設中の泰緬鉄道の主力機関車として活躍した
戦後は46両がタイ国鉄700形(701〜746)として使用され 現在では 713(旧15号)715(旧17号)が
タイ国鉄の手によって動態保存されている また昭和54年(1979)に 725(旧31号)735(旧44号)が
日本へ帰還し 31号機は靖国神社遊就館で静態保存 44号機は大井川鐵道で動態保存されている
ビルマ国鉄には12両編入され クラスC機関車として使用されたのが確認されている
1977年から随時廃車され その内0522(56号機)は 現在ミャンマー国内で静態保存されている
C56 160号機
同機はC56形国鉄納入機のラストナンバー機として 川崎車両により昭和14年(1939)に完成した
現在はJR西日本に所属して 京都・梅小路蒸気機関車館で動態保存されている
津山機関区を振出に 戦後は鹿児島機関区 横浜機関区を経て昭和39年(1964)に上諏訪機関区へ転入後
小海線・飯山線・七尾線で活躍した 昭和47年(1972)に梅小路運転所の所属となり
昭和55年(1980)「北海道鉄道100周年記念号」の牽引機に抜擢され
以降は 走る路線を選ばない同機の特性から 全国各地でのイベント運転に供されることになった
現在は「SL北びわこ号」や「SLやまぐち号」の運転などに使用されるほか JR他社等での運転実績もある
平成18年(2006)「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として 準鉄道記念物に指定されている
平成25年(2013)7月28日の山口島根両県を襲った豪雨災害により 橋梁の流失・土石流・地滑りが発生し
宮野−益田駅間が不通となった この災害により「SLやまぐち号」の運転が取り止めとなった
平成25年11月2日・3日にC56 160号機単独牽引で 新山口−地福駅間で「SLがんばろう山口・津和野号」を
12月21日に「SLクリスマス号」翌年の正月には恒例の「SL津和野稲成号」を同機単独牽引により運行した
平成26年度(2014)は「C56のSLやまぐち号」「DD51のDLやまぐち号」が運行されていたが
7月からは往路地福行の牽引機としてC57 1号機が復帰した しかし7月13日に不具合を生じ「C57」は運休
「DLやまぐち号」の往復運行となっていたが 8月15日から往路がC56 160号機牽引に戻された
8月23日の全線復旧日には C56・C57による重連で運行され完全復興となっている