大阪モノレール OSAKA MONORAIL

大阪モノレールは 大阪空港駅−門真市駅間が全線開通し 全長21.2kmとなった1997年8月に
モノレールの営業距離世界一となり 1998年4月29日イギリスのギネス出版社から認定を受けた
現在の総営業距離28.0kmはモノレールとして世界最長で今もギネスブックに掲載されていたが
2011年に中国重慶市の重慶軌道交通が39.1kmの新路線を開業したため 世界最長ではなくなった
2路線の跨座式モノレールを運営する大阪高速鉄道株式会社は 大阪府出資の第三セクター会社である
関西大手私鉄とは阪急と京阪のみとの接続となるが 他関西大手私鉄各社が株主となっている
大阪空港−国道176号交点までは大阪府道11号線区域内
国道176号交点−門真市駅間は大阪府道2号線区域内(一部は高速自動車国道部と重用)に敷設され
軌道法の適用を受けることが可能であって 国から高率の建設費補助を受けることが出来た
軌道及び橋脚部は道路施設の扱いとなるなど減価償却負担が軽減され
第三セクター運営の路線としては収益率が高い

●沿革
昭和55年(1980)12月大阪高速鉄道株式会社設立
平成02年(1990)6月千里中央−南茨木間開業
平成06年(1994)9月柴原−千里中央間開業
平成09年(1997)4月大阪空港−柴原間開業 茨木駅を宇野辺駅に改称
8月南茨木−門真市間開業 大阪モノレール本線の大阪空港駅−門真市駅間 21.2kmが全通
平成10年(1998)10月国際文化公園都市線(彩都線)万博記念公園−阪大病院前間開業
平成18年(2006)2月Pitapa導入 同時にICOCAも利用可能となる
平成19年(2007)2月通学定期券の割引率を50%から60%に拡大し値下げ
3月国際文化公園都市線(彩都線)阪大病院前−彩都西間開業 彩都線 6.8km全通
平成25年(2013)3月IC乗車カード全国相互利用開始 Kitaca・PASMO・Suica・SUGOCAなど利用可能
令和02年6月社名を大阪モノレール株式会社に変更

当初の計画では大阪国際空港と堺泉北臨海工業地帯を結ぶという壮大な構想から始まり
大阪府道2号大阪中央環状線沿いに堺市方面まで延伸する計画であった 2004年近畿地方交通審議会から
「京阪神圏における中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」として
門真市から東大阪市瓜生堂の近鉄奈良線との交点まで延伸案が示されたが おおさか東線との競合
沿線人口減少等の課題が山積し実現性は乏しいと言われる
関西大手私鉄5社すべてが大阪高速鉄道の株を保有しているが 実体は大株主である阪急電鉄主導となり
阪急各線間を連絡する役割が大きくなっていることは否めない
モノレール線は大阪市を中心に放射状に延びる私鉄を環状に接続し 周辺都市間移動の確保を図るため
大阪市内中心部を迂回し 北摂の阪急沿線と京阪電鉄沿線とが結ばれることとなったことから
郊外に位置する製造業を中心に通勤の利便性を高め 現在では少ないながらも黒字基調となっている
宇野辺−南茨木駅間でJR東海道本線とオーバークロスするが 現在も乗り換え駅は設定されていない
建設が決まった当初は国鉄に乗り換え用の新駅を建設するか または東海道本線茨木駅を移転するよう
要請したものの 当時の国鉄財政事情から実現に至らなかった 宇野辺駅は開業時は茨木駅と呼ばれたが
JR茨木駅とは大きく離れており 大阪空港−柴原間を開業する際に宇野辺駅に改称された
彩都線については 彩都西より先の区間整備は現在未定の状態である
路線最大勾配は50パーミル 最小曲線は蛍池駅−柴原駅間の半径100mである
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路線図

2010.08.13  大阪モノレールで万博記念公園へ

門真市駅から万博記念公園駅−大阪空港駅まで 大阪市の東部郊外を西へ回り込むように走るモノレール線
高い位置にあって展望はよく ゴムタイヤの車輪は騒音もなく至って静かである
運転席の速度メーターは時速70kmを越えることはなかった
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大阪モノレール始発駅の門真市駅へは 京阪電鉄本線の門真市駅で乗換るのが便利
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大阪空港行プラットホーム 2000系
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2000系運転席後部座席から展望
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跨座式モノレールを下から見る
南摂津駅付近 1000系
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南摂津 淀川堤防上 2000系
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淀川鉄橋 2000系
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淀川鉄橋 ラッピング車は全て1000系車両
南摂津駅展示物 井路と井路舟
摂津市域の湿田地帯には 井路(「いじ」または「いろ」)と呼ばれる水路が数多く掘り巡らされていた
これらの井路は 湿田の米づくりには欠かせないもので どちらかと言えば用水の供給よりも排水に
大きな役目を果たしていた 井路には井路舟が浮かび 農道を行く軽トラのように
肥料や刈り取った稲などを運んでいた また井路舟は 淀川堤防の決壊などによる洪水時の避難にも
欠かせないもので 鳥飼や一津屋などの低湿地では 大切な家財道具だった
井路と井路舟 それは かつての湿田地帯農村の典型的な風物であった
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復元された井路舟
昭和28年の洪水 舟で避難する人々
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運転室から 万博太陽の塔
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太陽の塔と1000系
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万博記念公園駅に入る 下り線モノレール 2000系
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大阪空港駅コンコース 休憩スペース
ギネスブック認定証
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空港管制塔と南ウィングビル
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大阪空港駅ポイント
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動くポイント
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ポイント切替え終了
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