2011.12.23  梅津寺公園の伊豫鉄道1号機関車

所在地:愛媛県松山市梅津寺町梅津寺公園内
鉄道記念物 伊予鉄道1号機関車<掲示板>
この機関車は「四輪連結水槽付機関車」で、明治21年伊予鉄道株式会社が松山〜三津間に、
軌間2呎6吋(0.762m)の鉄道を敷設した時から使用されたもので、
ドイツのミュンヘン州クラウス製造所から輸入されました。当時は米1升が4銭5厘の時代に、
この機関車の価格は9,700円でした。爾来線路も延長されて明治、大正、昭和、と
実に67年にわたり松山平野を走りつづけました。夏目漱石の名作「坊ちゃん」に登場してからは、
「坊ちゃん列車」の愛称で親しまれてきましたが、いまは使命を全うしてここに保存されています。
我が国に現存する最古の軽便鉄道機関車として、
昭和42年10月14日、日本国有鉄道から鉄道記念物として指定されました。

漱石の小説に出てくるとはいえ機関車の描写は「ピュー」の一言だけである
東京で生まれ育った漱石にしてみれば 伊予鉄道などオモチャのようであったろうと想像する
機関車はクラウス社からの日本初輸入となった 1888年製の1・2号機から始まり
1892年製2両・1898年製2両・1900年製2両・1907年製2両と増備するほか
道後鉄道買収で1889年製2両・別子銅山から1894年製2両・1896年製1両を譲受して
15両のクラウスを保有していた 1888~1913年に同形のクラウス製機関車は全国に33両輸入されており
その内伊予鉄道10両・道後鉄道2両・別子銅山10両と愛媛勢が半数以上を占めている
これには伊予鉄道・道後鉄道ともに大株主であった住友財閥が関係していると言えよう
住友別子鉱山鉄道の1形機関車は 愛媛県新居浜市角野新田町の別子銅山記念館前に静態保存されている
梅津寺公園に静態保存されている1号機関車には 足回りの部品等に3号機の部品を多用している
それは以前の保存状態が悪く やむなく保存されていた3号機を解体して修理したからである
今は磨かれ輝く1号機だが 屋根付きとはいえども前後左右に壁は無い 悪戯や盗品にも無防備といえる
記念物としての保存を考えるなら 伊予鉄本社などの屋内展示とすべきである 部品補充はもう出来ない
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型式 : B型(0-4-0)ウェルタンク(ボトムタンク)式蒸気機関車
ウェルタンクとは台枠補強の横梁に底板を設けて水タンクとし 低重心化と燃料庫の拡大を図った形式で
軸間に水タンクを設けることから 弁装置は外付けした この方式はドイツのゲオルグ・クラウスが
スイス北東鉄道機関車主任時代に考案し クラウス社を創業後にクラウス・システムとして実用化した
後には コッペルを筆頭とする欧州の機関車メーカーや それらを模倣した日本の機関車メーカーが
主として小型機に多用するようになった ドイツ・クラウスの蒸気機関車は堅牢性や実用性に優れ
かつ納期短縮や製造コストの面においても優位に立ち 以降開業が相次ぐ中小私鉄での導入が進められた
全長:4.76m 全高:2.81m 全幅:1.65m 軌間:762mm 動輪径:685mm
弁装置:外側スティーブンソン式 シリンダー直径×行程:180mm×300mm
運転整備重量:7.80t 最大軸重:3.9t 動輪周馬力:40PS(公称)
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昭和27年(1952)改造後のサンフラワー形煙突の伊予鉄1号機
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梅津寺公園に静態保存されている1号機関車
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スチーブンソン式弁装置
世界初の鉄道機関車の製造会社である英国のロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニーの社員が
1841年に発明した外付弁装置 垂直方向にエキスパンションリンクをつくり
その両端にエキセントリックロッドの末端を接続して進行方向を変える 前進はリンクを下げ
後退時はリンクを挙げる 写真では中立位置を示している
一般に大型の機関車では台枠内に設置されたが 小型の機関車では外付けされた
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