一畑電気鉄道と一畑電車「いちばたでんしゃ」

一畑電車車章
一畑電気鉄道株式会社は 島根県東部を中心に運輸・商業・各種サービス事業を展開している
一畑グループ各社を統括する<持株会社>である  本社は島根県松江市中原町
社名の由来は 出雲市・一畑寺(一畑薬師)への参詣鉄道を設立したことに由来する
 明治45年(1912)4月6日に設立した 一畑軽便鉄道株式会社が母体となっている
現在総営業距離数 26駅 42.20km
●沿革
大正14年(1925)7月社名を一畑軽便鉄道株式会社から一畑電気鉄道株式会社に改称
昭和02年(1927)10月既存区間を全線<直流1500V>電化
昭和03年(1928)4月北松江線・小境灘(現・一畑口駅)〜北松江(現・松江しんじ湖温泉駅)間を開業
北松江線は沿革年表からわかるように 出雲今市から一畑まで軽便路線が敷設された後
その途中駅である小境灘駅から北松江駅に延長された  その頃は一畑寺が中心で
一畑駅から松江温泉及び出雲へと 両地域への旅客輸送が交互に乗換えなしで行われた
現在平地にもかかわらずスイッチバック方式という 一畑口駅の不自然な線路は
その時に出来上がったものである
昭和05年(1930)川跡〜大社神門(現・出雲大社前駅)間(8.3km)を開業
昭和19年(1944)12月小境灘〜一畑間(3.3km)が戦時不要不急路線の指定を受け営業休止
レールは軌条供出命令により名古屋鉄道に供出された
昭和29年(1954)5月出雲鉄道(前・大社宮島鉄道)を吸収合併し、立久恵線(非電化・18.7km)とする
大社宮島鉄道:計画では出雲と安芸の宮島(広島)とを結ぶ壮大な計画であったが
資金難等の理由で全線開業を断念 昭和7年(1932)12月12日
神戸川沿いに出雲今市〜出雲須佐間(佐田町須佐)のみを開業した鉄道である
昭和29年(1954)12月島根鉄道を吸収合併 広瀬線(8.3km)として直流600V電化区間として開業申請
島根鉄道:広瀬鉄道として昭和3年(1928)7月14日 飯梨川沿いに
荒島(安来市・山陰線)〜出雲広瀬(広瀬町)間を開業。
昭和35年(1960)4月昭和19年(1944)から休止中の一畑口から一畑間を廃止
電鉄名称の由来とも言える一畑薬師への参詣線は肝腎な部分が消滅した
本来一畑薬師への参詣者輸送が目的だったのが 直接行けないという状況となる
尚かつ 資金難から小境灘駅のスイッチバック線路は変更のないまま残される
昭和35年(1960)6月広瀬線を開業しないまま廃止
昭和35年(1960)10月一畑パーク開園 山陰地方唯一の遊園地であった
昭和37年(1962)3月一畑自動車道(一畑口〜一畑薬師)開業 鉄道跡のバスによる代替輸送専用道路
昭和39年(1964)7月災害により立久恵線を休止 翌年2月18日廃止
昭和54年(1979)8月一畑パーク閉園 山陰地方唯一の遊園地であったが惜しくも閉園となる
9月鉄道利用者の大幅減で一畑自動車道廃止
平成18年(2006)4月一畑電気鉄道が持株会社に移行 鉄道事業を新設の一畑電車へ移管
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一畑薬師(総本山一畑寺)
臨済宗 妙心寺派 醫王山(イオウザン)一畑寺(イチバタジ)は 通称「一畑薬師」と呼ばれ
「目のお薬師様」として全国的に知られる 現在は一畑薬師教団の総本山でもある
縁起では 平安時代の寛平6年(894)漁師の与市が 海中より引き上げた薬師如来像を安置するため
この地に四間四面の御堂を建立した その後 天台宗比叡山延暦寺に出家し名を補然(ほねん)と改め
帰郷して御堂を医王寺として開基したとある 当初は天台宗に属していたが
鎌倉時代末期の正中2年(1325)に 臨済宗南禅寺派寺院として再興され 寺号を成徳寺と改めた
江戸時代の承応2年(1653)に一畑寺に改名 寛政2年(1790)には妙心寺派へ転属した
昭和28年(1953)宗教法人一畑薬師教団を設立 一畑寺を総本山とする 全国に約50の分院がある
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